私に倣う者となってください

静まりの時

  • テーマ:地上の旅人
  • 聖書箇所:ピリピ3・17~21
  • 日付:2025年10月11日(土)

17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

大胆な言い方だと思います。よほどの自信があってのことか、それとも自惚れているのか、自分という者が分かっていないのか、と言いたくなるようなことかもしれません。
パウロは決して自信があったのでも自惚れているのでも、自分を見失っているのでもありません。むしろ自分のことが良く分かっていました。自分が如何に罪びとであるかを知っていました。その自分を救ってくださったイエスさまがともにいてくださることを知っていました。イエスさまがおられなければ生きていくことができない者であることを知っていたのです。そのような「私」に倣うものになってほしいというのです。

私たちは、人に倣う、ということがあまり好きでないかもしれません。とくに信仰というと、自分とイエスさまとの関係ですから、むしろ独創的な信仰に、信仰の純粋さを見いだしたくなるのかもしれません。しかしその独創的な信仰のなかに、あんがい他の人を見下すという高慢な心が潜んでいることはないでしょうか。倣う、ということは、高慢を治めてへりくだった心がないとできないことです。私はイエスさまだけに倣います、という心の中に罪人の傲慢さが巣くっているのではないでしょうか。

20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

国籍が天にある、ということは、私たちの故郷はこの地上ではなく天であるということです。死は終わりではなく、主にある者はいつも天国への希望に生きることができる、ということです。

しかしそれだけではありません。ここでは国籍が天にある、そうしてその天からイエスさまが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んである、といいます。私たちが天に行くのを待ち望んでいる、というのではないのです。
さらに、そのイエスさまは、万物を従わせることのできる御力によって、私たちを変えてくださる。栄光に輝くからだに変えてくださる、というのです。イエスさまが、私たちのところに来て下さって、私たちを変えてくださる。それを待ち望んでいるのがキリスト者である、といいます。

国籍が天にあるということは、私たちは天国人である、ということです。たとえば海外からやってこられた方は、その文化の中に生きておられますから、日本に来ると随分違った場面に出会うことになります。日本に長く住みその文化にすっかり漬かっている者からは、そのような人に多少違和感を持ったり、その方の言動を通して、その方の国を想像したりします。私たちが天国人であるとすれば、この世の人が私たちを見て、違和感を持ったり、天国を想像したりされるはずなのです。そのような信仰生活を送っているだろうか。いまだ地上人として何の違和感もなく生活してしまってはいないだろうか。イエスさまによって造り替えられているだろうか。イエスさまの栄光に輝くからだと同じ姿に変えられているだろうか。私のからだは、そのような方向性をもって生きているだろうか。そんなことを考えさせられます。


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