静まりの時
- テーマ:地上の旅人
- 聖書箇所:申命記2・1~7
- 日付:2025年10月09日(木)
5 彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。
6 食物は彼らから金で買って食べ、水も彼らから金で買って飲まなければならない。
7 事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」
「戦いを仕掛けてはならない」。多くの戦いの目的は、略奪であり、侵略です。そしてその結果生まれる恨みからの復讐だと思います。過去防衛戦争といった主張がなされた場合でも、その実は侵略戦争でした。神さまはここで、戦いを仕掛けてはならない、といわれます。戦ってはいけない、という意味でもあり、また戦いに結びつくようなきっかけを作ってはならない、という意味でもあると思います。
食物や水が必要ならば、それを、商取引によって手に入れよ、といわれます。法の秩序の中に、互いの財産を守りながら、折りあって生きて生きなさい、といわれます。
なぜなら、神さまが祝福してくださることを知っているからです。神さまは、私たちの行動のすべてを祝福してくださいました。そして今も祝福していてくださいます。人生の旅を見守っていてくださいます。神さまは私たちとともにいて、何ひとつ欠けることがないようにしていてくださいます。
私たちは、神さまの祝福が見えなくなった時に、戦いを仕掛けるのかもしれません。戦わなければならないということから解放されるためには、神さまの祝福が豊かにあることを、常に、学ばなければならないのだと思います。
同族であるエドムの領土内を通るときに、おそらくイスラエルにはさまざまな思いが駆け巡ったことだろうと思います。エドムも恐れたでしょうし、イスラエルも恐れたのではないかと思います。だからこそ十分に注意せよと主は言われました。注意の仕方が、戦いを仕掛けない、ということでした。
疑心暗鬼に陥って戦いを仕掛けてしまうことのないように、注意せよ、と。
この疑心暗鬼は今も世界の軍事力による抑制論の背景にあるものです。仮想敵国を定め、その国の動向を逐一否定的に国内で報道し、国民の感情を煽っていこうとする。そうして軍事増強を正当化するのだと思います。
神さまは、戦いを仕掛けてはならない、といわれました。この言葉を大切に受け止めたいと思います。私たちは地上の旅人なのですから。