私たちの救い主である神の教えを飾る

静まりの時

  • テーマ:主人と僕
  • 聖書箇所:テトス2・9~10
  • 日付:2025年09月27日(土)

9 奴隷には、あらゆる点で自分の主人に従って、喜ばれる者となるようにし、口答えせず、
10 盗んだりせず、いつも善良で信頼できることを示すように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。

おそらく教会にたくさん集っていたであろう「奴隷」の人びとに、キリスト教会は、信仰者としての新しい生き方を教えました。それは、従うこと、喜ばれる者となること、口答えしないこと、盗まないこと、そうして善良で信頼できる者であることを示すこと。そのように生きなさい、と教えました。このような教えに忠実に生きた奴隷たちによって、他の信仰者でない奴隷たちとの違いが鮮明になったのだと思います。奴隷を持つならば、キリスト者の奴隷がいいぞ、と主人たちの間ではささやかれたことだと思います。

奴隷たちが「私たちの救い主である神」の「教え」を「飾る」。奴隷たちだけではありません。主にある者はみな、神さまの教えを飾りとするのです。「飾り」は新共同訳では「輝かす」と訳されています。

私たちは何を飾りとするのか。何を輝かせて生きるのか。この世の人が私たちを見て、そこにどのような輝きを発見するのか。

私たちを見てそこに、私たちの救い主である神さまの教え、が輝いている。言い方を変えるならば、私たちを救われた神さまのご栄光が輝いている。私たちのためにいのちを捨てるほどの神さまの愛が輝いている。

神さまの愛が輝いているために最も重要なことは、私の輝き、私の栄光を、輝かせないこと。飾りとしないこと。

わざわざ私を見ずぼらしくする必要はありません。私の中に神さまはすでにともにいてくださいますから、私自身が透明になっていけばいいのだと思います。


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