静まりの時
- テーマ:結婚
- 聖書箇所:第一コリント7・10~16
- 日付:2025年09月17日(水)
14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。
聖書の書かれた目的は、イエスさまを信じて救われるためです。色々なテーマが出てきますが、それらもすべて「救われる」ということが根本的なテーマです。
この個所も結婚のあり方が書かれているようですが、結婚にまつわって如何に救われた生活をするか、救いを全うすることが出来るか、ということが書かれているのです。キリスト者の結婚とはこうあるべき、などということが書かれているのではありません。
パウロは独身が優れていて結婚はそれに対して劣っているなどとは語っていません。離婚は何が何でも絶対にダメとも語っていません。時と場合によってはそれも仕方がないと語っているようです。逆に信仰によって離婚するなどとは考えてはいけないと語っているようでもあります。大切なことは、結婚していても、独身でも、また離婚しても、信仰を全うするにはどうすればよいか、ということです。
一般恩寵という言葉があります。信仰をいただいて恵みをいただくのですが、信仰がなくても神さまからいただいている恵み、恩寵があります。たとえば命は信仰者も未信者もすべていただいています。太陽も雨も、信者にも未信者にも等しく注がれています。結婚も、信者も未信者もしますので、この一般恩寵の中にあります。しかし、それがことさら信仰によってさらなる祝福となる、ということも事実です。逆にキリスト者同士の結婚だから自動的に祝福された結婚生活が築かれるとは限りません。キリスト者同士の結婚が破綻し離婚に至るケースはたくさんあります。
伴侶が未信者である、ということはどの世界、どの時代にもあります。信者同士の結婚は推奨されることかもしれませんが、出会いと愛は、そう単純なものではありませんので、信者と未信者の結婚も教会は大切に考えてきました。
だれしも伴侶が信仰を持つことを願っていると思いますが、簡単なことではありません。しかしもし伴侶が信仰に積極的な反対をせず、理解を示していてくれるならば、一緒に生きていくことを聖書は積極的に進めています。
さらには、信者によってその未信者の伴侶は「聖なるもの」とされていると聖書は語ります。ましてやその子どもは神さまの聖さの中にあるというのです。何と慰めに満ちた言葉でしょう。
聖なるもの、とは、神さまのものとされている、という意味です。未信者の伴侶の救いのために祈りたいと思います。