自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい

静まりの時

  • テーマ:愛の掟
  • 聖書箇所:マタイ5・43~48
  • 日付:2025年09月05日(金)

43 『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
45 天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。

おそらくレビ記19章18節の言葉が、ここで言われている「あなたがたは聞いています」と言われている言葉のルーツではないかと思います。

18 あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。(レビ19・18)

文脈から、同胞との生き方について語られていると思いますが、それが「あなたの敵を憎め」というふうに理解されるようになったのには、さまざまな歴史的な経緯があるように思います。聖書を素直に読むということは案外難しくて、自分の置かれた文化、状況、好みなどによって、解釈されて読まれることが多いのです。
ここでイエスさまが言われたことは、旧約の教えを変えられたのではなく、本来の読み方で読まれた、というべきだと思います。

「聞いていること」に惑わされないで、本来聖書が語っていることをしっかりと聞くこと。主にある者は、そのようにしっかりと聖書を読むようにと招かれています。
こんにち「聞いていること」すなわち私たちにさまざまに送られてくる情報は過剰です。テレビ、SNS、インターネットWEBサイトなどなど。私たちは「聞いていること」ではなく、聖書の言葉に生きる者でありたいと思います。

自分の敵を愛すること、自分を迫害する者のために祈ること。愛すること、祈ることは、感情の問題ではなく、生き方における意志(意思)の問題です。
愛する道を選択すること。そうして私たちは父なる神さまの子どもとなるのです。

子どもとなる、というと、いまだ子どもではなかったのか、と問いたくなるかもしれませんが、主イエスさまを信じた時から、私たちは神さまの子どもです。100パーセント神さまの子どもです。しかしせっかく神さまの子どもにしていただいたにも関わらず、隣人への憎しみに生きているとすれば、それは子どもとして生きていないことなのです。もったいないことであり、不幸なことです。
隣人を愛することを喜びとすることが出来るように祈りたいと思います。


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