わたしはあなたがたを友と呼びました

静まりの時

  • テーマ:愛の掟
  • 聖書箇所:ヨハネ15・12~17
  • 日付:2025年09月04日(木)

15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

神さまに対してしもべであるか、それとも友であるか、の違いは、「主人が何をするのか」を知っているかどうかによる、とイエスさまは言われました。
主人、すなわち神さまが何をなされるか、を知っているならば友、知らないならば依然しもべである、となります。
私たちはイエスさまから友と読んでいただきましたから、神さまの友であるようにと招かれています。私たちは父が何をなさるのかを知っているはず、少なくとも聞いているはずと言われました。

イエスさまがすでに、すべてのことを知らせてくださった。そう語られています。今後新しいことが語られることはない。すでに語られていることを、よく思い起こして生きよ、と主にある者は招かれています。ですから体験ではなく聖書を学びます。

主人が何をするのかを主にある者は知っているはずである。それは互いに愛し合うことであり、互いに愛し合うという実を結ぶことであり、そのために父に求めることです。

私たちに互いに愛し合いなさい(12)、と命じられたイエスさまは、それを「わたしがあなたがたを愛したように」愛し合いなさい、と言われました。それは十字架においてご自身のいのちを捨ててくださったように、私たちも互いに自分のいのちを捨てるようにしてまで愛し合う、ということが語られているように思います。
イエスさまが私を愛してくださったということ。それが土台となって他者を愛する、ということですから、イエスさまに愛された、ということがなければ私たちはこの愛によって愛することが出来ません。

イエスさまに愛された、いまも愛されている、という喜びがあってはじめて私たちは互いに愛することが可能となるのです。自分が神さまに愛されている、ということは、私が神さまを愛するということと呼応しています。神さまが私を愛してくださった、ということを知り受け入れ、私たちは神さまを愛しはじめます。そして隣人への愛に遣わされていきます。隣人への愛の現場において、神さまをより深く愛することを学び、また自分自身が愛されていることを実感するのです。


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