静まりの時 ガラテヤ5・1〔解放の福音〕
日付:2025年08月09日(土)
1 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。
救われる、ということは、解放されることです。解放されたながら自由になるのは当たり前のことですが、ガラテヤ教会には、せっかく解放されたのに自由にならないで、再び奴隷のくびきを負う人がいたようです。
再び奴隷のくびきを負ってしまう。すなわち別の主人の奴隷になってしまう人がいたのです。別の主人といってもそれは昔懐かしい主人、すなわち律法のことでした。イエスさまを信じてもなお律法の奴隷になっている、あるいはわざわざ律法の奴隷に戻ってしまう人がいました。
しかし自由というのはなかなか難しいものです。夏休みに自由研究というものがありましたが、自由といわれると何をやっていいか分からない、何をしようかと考えあぐねているうちに夏休みが終わってしまい結局何もできずにいた、ということも少なくありません。学校に通う制服など決められれば自由が侵害されると自由な服装で通学できるようにした結果、同じ服を着ていきづらい、かといってそんなにたくさんの服を持っているわけではない、結局何を着ていけばいいか分からない、ということも起こります。制服は自由でよかった、という声さえ聞こえてきます。自由は、そのままではかえって不自由を生み出します。
本当に自由は、イエスさまを主とする、王とするところに生まれます。自由が自分を主人とし王とすることであるかぎり、自由は不自由であり続けます。