御霊の人であるあなたがたは

静まりの時 ガラテヤ6・1~5〔兄弟の弱さを負う〕
日付:2025年07月18日(金)

1 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
2 互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
3 だれかが、何者でもないのに、自分を何者かであるように思うなら、自分自身を欺いているのです。
4 それぞれ自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分にだけは誇ることができても、ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
5 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになるのです。

 「御霊の人であるあなたがた」。御霊の人、霊の人とはいったいどのような人なのか。

・もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、その人を柔和な心で正してあげる人(1)。
・自分自身も誘惑に陥らない人(1)。
・互いの重荷を負い合う人(2)。
・自分を吟味する人。そうして自分を誇らない人(4)。
・自分自身の重荷を負う人(5)。

となります。逆にどういう人が霊の人ではないか。

・何者でもないのに、自分を何者かであるように思う人。そうして自分を欺いている人(3)。

 霊の人というと、何やら神秘的な体験をし、人よりも何かすぐれた素質があり賜物があり、そういう意味で宗教的に秀でた人のことを想像しますが、聖書はその全く逆の人を語ります。むしろそういう宗教的に秀でたと言われるような人のことを、俗なる人、というのかも知れません。

 自分が本来何者でもないにも関わらず、自分を何者かであるかのように思う、ということは、自分を欺いている、とパウロはいいます。自分を何者かであるかのように思うとは、「何かりっぱでもあるかのように思う」(新改訳第3版)、「ひとかどの者だと思う」(新共同訳)、ということですが、それは自分を欺いている、自分を偽っている、自分に嘘をついている、ということなのです。自分に嘘をついていて、良い人生を歩めるはずがありません。

 霊の人とは、自分自身が何者でもない者であることをわきまえ知り、ただ神さまの恵みによって生かされているに過ぎない罪びとであることを知っている人のことであり、その上で、自分自身と、そして他者と健やかに生きている人のことです。自分自身とそして他者と健やかに生きている、ということは、他者の重荷を負うことと自分自身の重荷を負うことのバランスが分かっている人。すなわち他者との境界線をしっかりと持っている人のことです。傲慢にならず、かといっていたずらに自己憐憫や自己嫌悪の陥ることもなく、主にあって自分を生きている人のことです。洗礼を受けたその日から私たちはみなそのように生きるようにと招かれています。


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