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あなたは、わたしに従いなさい

静まりの時 ヨハネ21・20~22〔神の前に立つ個人〕
日付:2025年07月10日(木)

22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

 互いに愛し合いなさい、と言われた主に従おうとするとき、私たちはともに生きる人たちへの関心を失ってはならないと考えています。隣人への関心が、隣人愛への道を開きます。マザー・テレサも「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言う言葉を残しています。
 しかしこの、関心を持つ、ということは少し曲者です。
 ペテロは、共に生きる弟子の一人に関心を持ったのです。その人生に関心を持ったのです。「この人はどうですか」。
 それに対して主は、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と答えられました。そして言われました。「あなたは、わたしに従いなさい」。

 隣人の苦しみや悲しみに敏感になることが、その隣人への愛に生きる道を開き整えると思います。しかし時に隣人の苦しみや悲しみが、自らに優越感を引き起こします。また逆に隣人の幸福な姿がねたみを引き起こします。隣人への関心が、私の内に優越感と劣等感を引き起こすのです。そういう関心の持ち方は、愛に生きる道を開きません。
 主は大胆に、無関心であれ、と言われました。ただひたすら主に従えばよい、と言われたのです。

 隣人への愛に生きるということも、その隣人への愛が中心となり動機となるというのでは、この優越感と劣等感から解放されることはありません。やはり、主への愛が、結果として、隣人への愛に実を結ぶということでなければ、優越感と劣等感から自由になることは出来ないのだと思います。
 私たちはただひたすら主に従えばよいのです。


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