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聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノ

静まりの時 使徒7・54~60〔主の証人たち〕
日付:2025年06月18日(水)

55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。

 ステパノは、教会に食事の配給のことで問題が起こったとき、それを解決するために選ばれた給仕係(6章5節)でした。後の執事に当たる教会の奉仕ですから、ただ配膳をしたというよりも、それにまつわるすべての実務的な奉仕をした、ということだと思います。
 その使徒ではないステパノは、ひょんなことから最高法院で話しをすることになり、その結果人びとの反感を買い「私刑」によって殉教します。その最後の場面が、今朝の聖書箇所です。
 ここにステパノの最後の言葉が三つしるされています。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」、「主イエスよ、私の霊をお受けください」、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。
 この最後の言葉を誰が聞き記録し記したのか。この使徒の働きを記したルカは、おそらく16章11節以降でパウロの旅に加わりますので、このステパノ殉教の場面にはいなかったと思われます。ステパノ殉教の場所は、最高法院、ですから、そこに他の使徒たちがいたとも考えられません。
 このステパノの殉教の記事には、見逃すことのできない一文があります。

「証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた」。

 この「証人たち」というのは、キリスト証人ということではなく、ステパノの説教を聞いた人たち、あるいは最高法院に参加している人たち、そしてステパノの私刑に同調している、賛成している人たち、ということだと思います。その彼らが、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いたのですが、いったいこれがどういう意味を持つのか。
 ステパノの殉教の記事が終わり8章が始まると、最初に次のような文章があります。

「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」

 ステパノの最後の言葉を聞いた人物としてサウロ(のちのパウロ)が登場し、サウロは後に回心し宣教者となります。そのサウロの宣教旅行にルカは同行します。おそらくその辺が情報の出どころではないかと思われます。サウロはたびたびステパノの殉教の出来事を語ったのだと思います。
 パウロは、自らもステパノの私刑に賛成していました。しかしそのパウロが、ステパノの最後のことばを、宣べ伝える人となったとすれば、まさに不思議、神さまのみわざというほかありません。
 そう考えると、先の「証人」は、ステパノが私刑にされることになったいきさつを証しする「証人」だったのですが、サウロの足もとに自分たちの上着を置くことによって、自分たちも知らないうちに、結果的にですが、ステパノの殉教を伝える人になっていたのかも知れません。知らず知らずのうちに、主の証人、になっていた、ということもできるかもしれません。

「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。」

 ステパノの殉教に端を発したといっても良いと思いますが、教会に対して激しい迫害が起りました。その結果、エルサレムにしかなかったキリストの教会が、ユダヤとサマリアの諸地方に拡大していきます。そうして世界宣教への道が前進します。その中心人物こそ、このときステパノを殺すことに賛成していたパウロでした。


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