静まりの時 イザヤ42・1~13〔地の果てまで〕
日付:2025年05月26日(月)
わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握る。(6)
新共同訳
「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び あなたの手を取った。」
自分の子どもの手を取って歩いたのはもうずいぶん前のことですが、ここ最近は孫の手を取って歩く機会を時々ですがいただいています。まもなく3歳になる孫のひとりは、人見知りが激しく親以外には泣き声を上げるのですが、少し前に不思議に私の手を取って近くの公園まで散歩をしました。私が手を取る、というよりも、孫のほうが手を取ってくれた、という感じです。
孫のほうが手を取るまえに私のほうが手を差し出しています。しかし無理やりに私が手を掴んでは振り払おうとしたでしょう。手は差し出すものです。それに答えるように孫は手を掴んでくれました。それが手を取るということだと思います。
私と孫では当然ですが私のほうが握力があります。ですから取った手が離れそうになったら私が掴むことになりますが、そのときには、孫は掴まれることに安心を感じます。
神さまはそのように私たちの手を取ってくださいます。
手をつないで公園から帰ると親が待っています。親の顔を見るなり私の手を放して親の元に駆け寄っていきました。