,

それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう

静まりの時 マタイ21・18~27〔十字架の道〕
日付:2025年04月14日(月)

24 イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。
25 ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」

 何の権威によってこれらのことをしているか。もしこの問いに、天からの権威によってである、とイエスさまが答えられたら、彼らは信じ受け入れたのだろうか。私たちも問いかけることがあります。答えを求めての問い、というよりも、自分の正しさや相手をぎゃふんと言わせるため、追い落とすために問いかけていることがあるのではないだろうか。
 イエスさまは答えられません。答える代わりに、イエスさまのほうから問いかけられました。「あなたがたが答えるなら、わたしも・・・言いましょう」。
 人間から神さまへの問いは、人間が神さまから問われる問いに対して答えるときに、答えがやってくるのです。神さまに対してどう答えるのか。
 ここで、バプテスマのヨハネについて問われました。天からか、人からか。すなわち神さまに御業なのか、それとも単に人間的なものなのか。この問いに答えることは、彼らの態度を決定することとなりました。自分たちの立場、生き方を決定すること。そこにはリスクが伴います。プライドも捨てなければなりません。神に答える、とはそういうことです。自分を捨てることなのです。
 彼らはそれが出来ませんでした。すると主は言われました。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません」。神さまの前に答えない者に、答えはやってこないのです。

 私たちは神さまにどう答えるのか。それが問われています。このような中にあってあなたはどう生きるのか。目の前の苦しみや困難を見ながら、これは天からのものです、と答えるのか。答えるならば、かならず主は答えてくださいます。鍵はこちらに渡されているのです。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: