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そのすべての苦難から贖い出してください

静まりの時 詩篇25・1~22〔あがない〕
日付:2025年04月12日(土)

22 神よ イスラエルを
 そのすべての苦難から贖い出してください。

 苦難から贖い出してください、と祈ります。普通に祈るとすれば、苦難からは、救い出してください、と祈るのではないかと思いますが、ここでは、贖い出してください、と祈るのです。こう祈ることによって、苦難とはいったいなんであるのかが明らかにされているように思います。
 苦難とは、苦しみのことです。病気であるとか、自然災害、困難な出来事、困窮、戦争、人間関係が破壊されることなどなど。そういうことから、贖い出してくださいと祈る。救い出してください、と祈るのではなくて、贖い出してください、と祈る。
 贖いとは、奴隷の状態であったことから解放される、自由にされる、という意味です。もし救い出してください、と祈るのならば、苦しみは救われていない状態であると告白していることになります。それに対して、贖い出してください、と祈るのは、苦しみが奴隷状態であることを告白しています。
 苦しみは奴隷状態、囚われの身のことなのです。
 何に囚われているのか。確かに苦しみの出来事に囚われていると考えられますが、この世界を見ると、苦しみの中にあるだろうと思われる人が、案外自由に生きている姿を見ます。逆に、私たちは、何の問題もないのではないか、と思われる中にあっても、不自由に、奴隷のような状態の中に生きてしまうこともあります。
 苦しみというものに囚われている、というよりも、自分自身のこだわりに囚われているのかもしれません。問題は、私のとらえ方、すなわち生き方です。
 苦しみの中にあっても、それに縛られることなく、自由に生きる道があるのです。どうか苦しみに囚われることがないように、その苦しみから贖い出してください、苦しみに囚われてしまう私自身から贖い出してください、と祈ります。

 NHKラジオに宗教の時間、というのがあるそうですが、この春から半年間、ヘンリ・ナウエンについて、上智の先生、司祭さんがお話しくださいます。楽しみです。

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