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主は 雲を広げて仕切りの幕とし 夜には火を与えて照らされた

静まりの時 詩篇105・26~45〔雲の柱・火の柱〕
日付:2025年03月14日(金)

39 主は 雲を広げて仕切りの幕とし
 夜には火を与えて照らされた。

 昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、主は荒野を旅するイスラエルを導かれました。その国家的な記憶を、この詩篇において歌っています。
 雲の柱は、ここでは「雲を広げて仕切りの幕」としたと書かれています。仕切りの幕というと、何かと何かを分けるためのもの。共同訳では「雲を広げて覆いとし」と訳されています。雲の柱が、彼らを先導して荒野の道を導いたのですが、それはまた、彼らを「守るもの」でもありました。
 火の柱も、「照らされた」と、その役割を歌います。先導した火は、自分たちを、そして行き先を照らす火でもありました。
 神さまに導かれる、ということは、神さまが先導してくださる。そしてしんがりとなって守ってくださることです。それはまた、あらゆるものから守ってくださる、ということであり、確かな道を安全に歩むために、道を照らしてくださる、ということでもありました。
 今日も主は、私たちをあらゆるものから守り、進む道を照らしてくださいます。


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