静まりの時 申命記1・26~33〔雲の柱・火の柱〕
日付:2025年03月11日(火)
31 また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、主が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。
荒野を旅したイスラエルを導いてくださった神。その神さまの姿を「人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださった」とモーセは語りました。
出産した子を抱くわが娘の姿は、まるで子どもが子どもを抱いているようにも見えました。大切な宝物を抱くように包み込む両手はあたたかさと優しさに満ちています。子どもは安心して抱かれています。そんなふうに神さまは、イスラエルの民を導いてくださいました。今を生きる私たちに対しても神さまはその御手をゆるめることはありません。力強く、そして優しく私たちを抱いていてくださいます。
新共同訳、共同訳2018では、これを「背負う」と訳しています。
「それに荒れ野では、この場所に来るまで、あなたがたが歩んだすべての道のりを、人がその子を背負うように、あなたの神、主があなたを背負ってくださったのを、あなたは見た。」(共同訳2018、申命記1・31)
原文の単語は「上げる、運ぶ」といった意味を持っているので、それを加味した訳なのだと思います。抱くも良い感じですが、背負うも捨てがたいですね。
4 あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、
わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。
背負って救い出す。
(イザヤ46・4)
この「背負う」は別の単語ですが、「運ぶ」が、今朝の「抱く」「背負う」と訳された言葉を同じ単語のようです。
抱かれたいか、それとも背負われたいか。どっちでもよいように思いますが、親としては抱くとほかの仕事ができなくなりますが、背負うとほかの仕事が可能となりますので、できれば背負いたいところではないかと思います。
ミケランジェロはいくつかのピエタを制作しました。ピエタとは十字架のキリストを抱く聖母マリアを題材とした作品のことです。あわれみ深い母マリアを力強く現わしているサン・ピエトロのピエタはミケランジェロの最高傑作と言われます。これに対して晩年の作品と伝えられるロンダニーニのピエタは、まるでイエスさまが年老いたマリアさんを背負っているような作品です。
背負う姿、背負われている姿は、一つの方向に向かって旅する姿を想像します。
イエスさまは、今日も私たちを背負ってくださり天国への旅を確かなものとしてくださいます。安心してイエスさまの背中に自らを委ねていきたいと思います。