静まりの時 マタイ4・1~11
日付:2025年03月04日(火)
悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。
「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
そこでイエスは言われた。
「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
(8~10)
神さまだけを礼拝し、神さまだけに仕えるところに、人間の健やかさが築かれていきます。
日曜日から仲間の牧師たちとのリトリートに出かけていました。リトリートで紹介された一つの言葉に心が留まりました。
「私たちの社会では、価値あることをすれば愛され、認められ、評価されます。しかし神の恵みのリズムでは、まず愛されます。先に価値ある者とされます。そうして私たちはいのちを得、そこから活動が生まれます。イエスご自身も、まず『これはわたしの愛する子』と御父から肯定され(マタイ3:17)、それから公の働きに入って行かれました。愛されているという現実が常に先にあります。恵みがたえず先行しているのです。
リトリートは、そのことを思い出し、じっくりと味わう機会です。普段の働きを後ろに残してリトリートに来て、ゆっくりと休息し、何も生み出していない、何の役割も果たしていない自分が、そのままで愛されていることを体験する場です。」
(中村佐知、「主とともに退く 第4回 恵みのリズム」『舟の右側』より)
悪魔は、自らを礼拝するなら、と誘惑しました。まことの神さまは、何もしないままの私をすでに愛しておられます。