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自分のために、天に宝を蓄えなさい

静まりの時 マタイ6・19~24〔真の富〕
日付:2025年01月24日(金)

20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

 天に宝を蓄える、あるいは積む、というと、自分のためではなく他者のためになにがしかを行う、という感じがしますが、ここでイエスさまは、「自分のために」と言われました。
 私たちは結局は自分のためにしか生きることが出来ないのです。あるいは自分の人生は自分のものであって誰かに代わりに生きていただくことはできなことなので、自分のために生きることは大切なことです。
 ポイントは、自分のために生きるにおいて、地上に宝を蓄えるのか、それとも天に宝を蓄えるのか。その違いです。
 自分を生きるときに、天を勘定に入れて生きる。目に目るものだけに終始するのではなく、目に見えないものを見ていく。イエスさまのみこころを求めていく。
 信仰生活のすべてはイエスさまのみこころを求めながら、イエスさまと一緒にしていくことですが、それだけではなく、仕事をするときも、イエスさまを一緒にする。食事をするときもイエスさまがテーブルについていてくださることを忘れない。
 そうしてイエスさまをいつも見上げている。そういう目が健やかな目であり、目が健やかならば私たちの全身は健やかであり、人生そのものも健やかに送ることが出来る。暗闇のようなところを歩むときも、確かな光に照らされてしっかりと生きることが出来る。
 人生の価値はどれだけイエスさまと一緒に歩んだかによってはかられるのではないか。もちろんイエスさまはいつも一緒にいて下さいますが、そのことを心にどれだけ大切に歩んだかということが、人生の豊かさなのだと思います。


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