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成熟を目指して進もうではありませんか

静まりの時 ヘブル5・11~6・8〔成熟する信仰〕
日付:2025年01月13日(月)

「ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、死者の復活と永遠のさばきなど、基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしましょう。神が許されるなら、先に進みましょう。」(1~3)

 基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしよう。基礎的なこととは何か。「死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、死者の復活と永遠のさばきなど」とありますが、これらが具体的にどのようなことであったのか。またそれらをやり直すとは、どのようなことだったのか。
 「もう一度やり直したりしないように」は共同訳では「今さら学び直すようなことはせず」とあります。決して学んではいけない、というよりも、そこにとどまることに安住することを戒めたのだと思います。
 基礎的なことは幾度でも私たちは学ばなければならないと思います。しかしそこにとどまって前進しようとしない。それが問題だったのです。

 教会は愛を語ります。愛と言った場合たいていは自分が愛されることを指して言っているところがあります。しかし愛されることと同時に、自分が誰かを愛することは学んでいるだろうか。そのように堅い食物であったとしても食べようとしているだろうか。
 堅い食物と見えても食べようとしていく。そうして成熟を目指していく。前進していく。私たちはそのような信仰生活に招かれています。


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