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アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた

静まりの時 創世記17・1~8〔祝福の契約〕
日付:2025年 1月 7日(火)

 さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。
 「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
  アブラムはひれ伏した。

 99歳と言うとずいぶんと高齢です。そのときに主はアブラムに現れ、語りかけられました。この前節にこう書かれています。

「ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。」(16・16 )

 アブラムは神さまの方法とは違う方法で子、イシュマエルをもうけました。その時アブラムは86歳です。その次の節が今朝の節となりますので、実に13年間、神さまは沈黙を守ってこられたことになります。
 今までことあるごとに親しく語ってこられた神。しかし13年間、それをお止めになられました。そのような事情を招いたのは、イシュマエルをもうける、ということだったかもしれません。みこころと違う道を選択するとき、神は沈黙してしまわれる。少し大げさに言うとすれば、罪の中にある人間には神の言葉が聞こえてこない、ということかもしれません。
 しかしその神さまが、再び語りかけられました。長い沈黙を破り語られた言葉は、祝福の契約でした。
 神の言葉が聞こえてこない。その試練の先に、また再び語り始めてくださる神がおられます。私たちにはただ待ち望むという時が与えられます。

 再び借り始められた神さまの前にアブラムはただ一つのことをしました。

「アブラムはひれ伏した」。

 アブラムは礼拝をささげました。人間がなすべき一つのことは礼拝です。神さまの前にひれ伏すことです。ひれ伏すアブラムに、続いて神は語りかけられます。
 礼拝を献げる私たちに、神さまは語り続けて下さいます。


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