静まりの時 マタイ1・18~25〔よろこびのおとずれ〕
日付:2024年12月23日(月)
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
(20,21)
思い巡らしていたヨセフに、主の使いが現れました。
「思い巡らし」。他の訳では「このように考えていると」。原文では、熟慮する、という意味です。
ヨセフは不安だったと思います。またいろいろと想像が走りますから、悩んだことだと思います。悲しかったかもしれません。男としての不甲斐なさもあったかもしれない。そんな中に、夢で天使が現れたのです。神さまは、そんなヨセフに出会ってくださいました。神さまは、悩み苦しむ者を放ってはおかれません。
御使いのことばは、ダビデの子のヨセフ、とはじまります。ヨセフがなぜダビデの家系に生まれたのか。その理由が語られ始めます。神さまのご計画は、ヨセフが生まれた時からすでにはじまっていたのです。
恐れずにマリアをあなたの妻として迎えよ。今起こっていることを、ありのままに受け止め、そのまま進むに任せよ。
その胎に宿っているのは聖霊によるのだ。神さまがお働きになっている。だからそのまま受け入れよ。
マリアは男の子を生む。その名をイエスとつけよ。その方は、ご自分の民をその罪から救ってくださる。この方こそ、ご自分の民を救ってくださる救い主である。
にわかには信じがたいことです。しかしヨセフをそのままを受け入れました。信じました。ヨセフの信仰は、全人類の救いの始まりを生み出しました。
思い巡らす者に神さまはお出会いくださり、思い巡らす者は、神さまへの信頼を持つ者となり、思い巡らす者は、神さまの御業を担う者となります。