静まりの時 ルカ1・67~79〔あなたの主が来られる〕
日付:2024年12月 6日(金)
76 幼子よ、あなたこそ
いと高き方の預言者と呼ばれる。
主の御前を先立って行き、その道を備え、
77 罪の赦しによる救いについて、
神の民に、知識を与えるからである。
ザカリヤは、天使から妻の懐妊を知らされたとき以来口がきけません。それから時が経ち妻は男の子を産みました。その子の命名の時に、習わしに天使が告げた名「ヨハネ」と付けるように身振りで伝えると、「ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえ」ました。話せるようになって初めて出した言葉が、神さまへの賛美でした。68節から始まるザカリヤの賛歌は、その最初の単語から「ベネディクトゥス」と呼ばれるようになりました。ヨハネの命名されたこの子こそ、主の道を用意するバプテスマのヨハネです。
父となったザカリヤは、自分の子の人生の目的を歌います。いと高き方、すなわち神さまの預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備える。「罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与える」。
バプテスマのヨハネの役割は、主イエス・キリストの前に先立って行くこと。そうして主の道を備えること。それは「罪の赦しによる救いについて、神の民に知識を与える」ことである。
「罪の赦しによる救い」。救いと聞くと私たちはさまざまな想像をしますが、聖書は「罪の赦し」こそ救いである、と語ります。さまざまな問題が願い通りに解決されたとしても、自分自身の罪の赦しがなければ、それは救われたことにはなりません。逆に、罪の赦しの確信さえいただくことができたならば、何はなくとも救われたということができる。聖書の語る救いとは、罪の赦しなのです。教会は、どこまでもこの救い、罪の赦しの救いを語り伝えます。神の民に、その知識を与え続けます。
いよいよ出産のときを迎えました。