目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい

静まりの時 黙示録3・1~6〔目をさまして〕
日付:2024年11月28日( 木)

1 また、サルディスにある教会の御使いに書き送れ。

 「サルディス」とは、新聖書辞典によると、

「小アジヤ西部の都市で,テアテラの南東48キロ,スミルナの東80キロに位置し,トモルス山のふもとのヘルムス平原の中央にある」とのこと。現在のトルコ西部。

また

「この教会は激しい迫害にはあわなかったが,内部には大きな問題を抱えていた.都市の繁栄の裏に,軟弱で退廃した気風がみなぎっていたことの影響もあってか,教会自体も活気がなく沈滞気味だったようである.その無気力な信仰ゆえに「目をさましなさい」(黙3:2)との警告を受けている.しかし,サルデスということばには「残りの者」または「残された者」という意味があるように,「その衣を汚さなかった」(黙3:4)と言われて,賞賛された人たちが少数ながらいたようである.彼らは勝利者としての「白い衣」を着ると言われる.この「白い衣」はサルデスの産物で,高級な毛織物として知られていた」

と説明されています。

『神の七つの御霊と七つの星を持つ方が、こう言われる──。
   わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
2 目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いがわたしの神の御前に完了したとは見ていない。
3 だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。

 「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」という状態は、「行い」に問題があった。行いが全くなかったわけではないが、「神の御前に完了した」とは、神さまご自身が「見ておられない」。自分では完了したと思っているかもしれないが。それが死んでいる状態である。
 ではどうすればよいのか。「目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけよ」。「どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めよ」。
 死んでいる状態とは、他者を力づけていない状態。

 他者を力づけることと、みずからが悔い改めること。これは一見違う行いのようですが、実は一つのことである、と聖書は語るのだと思います。
 悔い改めとは、人生のある時点での一回限りの行いというのではなく、人生に対する態度である、とどこかで考えたことがあったかと思いますが、そのような人生に対する態度が、他者を力づける、という生き方を生み出します。他者を力づけたい、と願うならば、まず自分自身が悔い改めに生きていなければならない。そうでなければ、他者を力づけようとしても、力づけることにならない。
 目をさましている、ということは、このように常に悔い改めの人生を歩んでいる、ということなのです。

4 しかし、サルディスには、わずかだが、その衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らがそれにふさわしい者たちだからである。
5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
6 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』

 人の集団というのは、どのような集団であっても一色ではありません。教会も同じです。いろいろな生き方をしている人が集まっています。この生きているようで実は死んでいると言われたサルディスの教会にも、ちゃんと生きている信徒もわずかですがいました。神さまは十羽一からげに扱われるお方ではありません。一人ひとりに丁寧に接してくださいます。
 衣を汚さなかった者。すなわち白い衣の状態を保った人たち。その白い衣の状態を保った人たちに、あらためて白い衣を着せてくださる。そうして主とともに歩む。それが彼らにふさわしいからである。彼らはそれにふさわしい者なのだ、といいます。

 信仰生活は、ある意味で戦いです。罪との戦いです。それは外からのものに対しての戦いでもあるし、自らの内に対しての戦いでもあります。


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