何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい

静まりの時 エペソ5・10~20〔目をさまして〕
日付:2024年11月25日( 月)

10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
11 実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
13 しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
14 明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。
   「眠っている人よ、起きよ。
   死者の中から起き上がれ。
   そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」

 この14節はかぎカッコに入っていますので、引用個所ですが、旧約聖書にはこのことばが見つかりません。おそらく当時歌われていた賛美歌であろう、といわれます。
 私たちは礼拝で賛美を歌います。さまざまな賛美歌を、長年歌われてきた伝統的な賛美歌を、また現代的なメロディーに乗せて聖書の言葉を、信仰を歌います。
 長い歌詞を歌う場合もあります。物語のようになった歌詞もあります。逆に短い同じ言葉の繰り返し、カノンというのでしょうか、そういった賛美もあります。いずれも心から神さまをほめたたえます。キリスト教会はそのように歌う宗教といっても良いと思います。
 しかし歌を歌うのは教会だけではありません。人間はさまざまな場面で歌を歌います。ときに気を紛らわすために、現実の苦しみを忘れるために歌います。自らを暗闇に引き込むように、現実を消滅させるかのように歌います。
 キリスト教会でもときおり、自分を忘れるため、現実から逃避するかのように歌われる場合もあるかもしれません。しかし本来、教会で歌うということは、そういうことではなく、光の中に自分の身を置くことです。神さまに自らが、そして生かされている現実が、まことの光で照らされることです。まことの賛美であるならば、自分自身の暗闇も、神さまの光の中に照らし出されることとなるはずです。

15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。

 まことの賛美であるならば、自分がどのように歩んでいるか、細かく注意を払うこととなります。知恵のない者としてではなく、知恵ある者として歌います。愚かになるのではなく、主のみこころが何であるのかを悟ります。それが賛美です。
 「ぶどう酒によってはいけません」。禁酒の勧めのようですが、これは当時さまざまな宗教行事の中でお酒に酔って神々を礼拝するということがあったそうで、それに対してのことばとのことです。日本でも宗教においてはアルコールはつきものです。未成年でもお構いなくアルコールの摂取が行われていましたし、むしろ推奨されているようなところもありました。そういうものの勢いで神さまを礼拝する、などということが教会の中にも持ち込まれてしまっていた。酒だけではありません。さまざまに私たちを酔わせてしまうこと、それを宗教行為の中に持ち込んでします。パウロはそれを禁じたのです。
 おおよそキリスト教の礼拝は、酔う、ということとは全く別のことなのです。それが心から主に向かって賛美し歌うことである、と。
 そういう賛美がささげられるところで、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい」という信仰の生き方が生まれるのだと思います。


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