すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった

静まりの時 ルカ24・28~31〔いのちのパン〕
日付:2024年11月19日( 火)

28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
29 彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。

 「イエスは彼らとともに泊まるため」。この「泊まる」はギリシャ語の「メノー」ということばで、神学校ではメノーなかにとどまる(眼の中にとどまる)、などと言って暗記しました。さまざまなところで使われている単語です。住むとも訳されることばです。
 イエスさまはエマオ向かう二人の弟子にいつのまにか共に歩んでくださいました。その見知らぬ人に、自分たちと一緒にお泊りください、と二人の弟子は強く勧めました。その招きにイエスさまは答えるかたちで、ご自身の旅を中断し彼らとともに泊ってくださいました。
 イエスさまは強制なさるお方ではありません。また強制しては愛が生まれることはありません。人間の願いに、主は答えようとしてくださいます。主は私たちの祈りを待っていてくださいます。

30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

 泊まるイエスさまは、食卓にともに着いてくださいます。そしてそこでは主がテーブルマスターです。パンを裂いて二人の弟子に渡してくださいました。
 イエスさまはパンを彼らに渡す前に、そのパンを取って神をほめたたえられました。パンはパンですが、祈られたパンとなりました。神さまとの結びつきの中にパンは新しくされました。イエスさまの肉となりました。
 そのパンを弟子たちは食しました。すると目が開かれました。目が開かれたので、今まで旅を続けてきたお方が、イエスさまであることが分かりました。
 目が開かれる。世界が見えるようになり、物事が理解できるようになる。知らなかったことを知るようになった。理解できていなかったことが理解できるようになった。そういう意味を含んでいるかもしれませんが、ここで大切なのは、イエスさまが見えるようになった、ということです。
 すべてが見えても、イエスさまが見えない。それは見えないことです。しかし見えないことがあってもイエスさまは見える。それは見える者とされた、ということです。

 イエスさまが分かったとたに、「その姿は見えなくなった」と聖書は語ります。不思議な言葉です。見えたとたんに見えなくなった。いったいどういう意味であるのか。

 イエスさまが見える、ということの中には、イエスさまが見えない、ということも包括している、含んでいる。私たちはイエスさまをこの肉眼で見ることができない。しかし聖餐の恵みに預かるとき、肉眼では見えないが、すでに見えるということの中に招かれている。私たちはイエスさまが分かる、というところに立たせていただいています。
 見えない、ということはともにおられないということではありません。確かに存在していてくださる。見えない、ということによって、より深くともにいることを明らかにしてくださっている。主は確かに私とともにおられる。見えないからこそ、信仰の目をもって、ともにいてくださる主を信じる。
 聖餐のパンを食するとき、そのパンは見えなくなります。しかしパンは消化器官で分解され栄養素となり、私の血管をめぐり全身にともにいてくださる存在となる。パンは私の身体の中で私も認識することのできない奥深くにともにいてくださる存在となる。

「まさにイエスが彼らと現存した時、イエスは不在の者にもなられたのである」。
「イエスが手渡されるパンを食べた時、彼らの生はイエスの生の中へと変容されたのだ。もはや生きているのは彼らではなく、イエスであり、キリストが彼らの中に生きておられるのである。そして、交わりの最も聖なる瞬間、イエスは彼らの視界から消えた」。
「人間の目では見ることができず、耳では聞くことはできず、いずれは終わりが来るわたしたちの体ではイエスに触れることはできない。しかし暗闇と悪魔の力は届くことができず、死さえも来ることのできないわたしたちの内なるその場所にイエスが来られたでのある」。
「二人の弟子たちがパンを食べ、その人がイエスだとわかった時、突然また彼らだけになる。しかしこの孤独は彼らが旅を始めた時の孤独とは違う。彼らは彼らだけにはなったが、共にいる。そして二人の間に新しい絆がつくられたことを知っている」
「わたしたちはイエスの体を食べ、イエスの血を飲んだ。それをしたことで、つまり同じパンを食べ同じ杯から飲んだわたしたちみんなは、一つの体となったのである」。

(ヘンリ・ナウエン、『燃える心で』、聖公会出版、1997年、78~86頁)


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