静まりの時 ルカ21・29~33〔失われた者の救い〕
日付:2024年11月16日( 土)
29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。
30 木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずから分かります。
31 同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。
私たちはカレンダーを見て、あるいはテレビなどを見て夏が近いことを知るのかもしれません。季節をはかるものを個人個人が何らかの形で持っている時代に生きています。しかし二千年まえはそうではなかったのだと思います。日照時間が増え気温が上昇する。木々が芽吹く。それらを見て夏がまもなく来ることを知る。おのずと自然、被造物への関心が高い、あるいは身近に感じている時代です。すべての被造物とともに生きていることを実感する時代。
神の国が近い。それを知ることができる。何を見て知るのか。「これらのことが起こる」のを見たら。これらのこととはいったいなんであるのか。28節にも「これらのこと」ということばがあります。21章5節以降に語られている戦争、天変地異などのことです。
しかし戦争や天変地異は、人類の歴史のなかで常に起こっていることではないか。ことさらそれらを見て神の国が近いのを知るとはいったいどういう意味であるのか。
戦争や天変地異が、常に起こっていることであるとすれば、それらを見て、神の国の近いことを知る、とは、結局常に神の国の近いことを知っていなさい、ということなのかもしれません。
32 まことに、あなたがたに言います。すべてのことが起こるまで、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
常に神の国の近いことを知って生きる。しかしそれは戦々恐々として生きることとは少し違います。「すべてのことが起こるまで」は「この時代が過ぎ去ることは決してない」のです。いまだすべてのことが起ったとは言えない。だから今の時代はさらに続いていく。神の国の近いことを知りつつも、今の時代をしっかりと丁寧に生きていく。刹那的な生き方への誘惑にあらがいながら、今日の日をしっかりと生きていく。
33 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
今日の日をしっかりと生きていくことを私たちに可能とするのは、みことば、です。神さまのみことばは決して消え去ることがありません。もっとも確かなものなのです。
小学生のころだったと思いますが、ガリレオの伝記を読んだことがありました。天動説をかたくなに守ろうとした教会と地動説を主張したガリレオとのせめぎ合いというか、孤高に立ち続ける信念の人ガリレオの生涯が書かれていたと思います。最近、『ガリレオ裁判』という本を図書館で借りてきました。しっかり読んでいるわけではありませんが、そこに書かれていたのは、ガリレオ裁判は、信仰と科学の戦い、あるいは聖書の権威と科学との戦い、というのではなく、教会もガリレオもともに信仰を大切に考えていた。ガリレオとしては、科学の時代を迎えてもなお存続する信仰、聖書の権威を大切にしようとしての主張であった、というようなことだったと思います。地動説が当たり前になった現代ですが、信仰はなくなるどころかますます重要な役割を担っています。聖書は人間が守ってあげなければならないようなやわなものではありません。
時代は変わります。しかし神さまのことばは決して消え去ることがありません。聖書に関する解釈は時代とともに変遷する可能性があります。しかしみことばそのものは決して変化することがない。だから安心して相撲を取ることができる。だからこそみことばを土台にして、神の国が近づいている時代にあっても日々をしっかりと生きていくことができるのです。