静まりの時 マタイ11・28~30〔弱い者への招き〕
日付:2024年11月 9日( 土)
28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
休ませてあげる。主はそう語っていてくださいます。私たちには休みが必要なのです。この「休み」という言葉は、原文では「とどまる」という意味をもっています。動き回っていたのが、とどまる、じっとする、ということです。(第一ペテロ4・14の「神の御霊がとどまる」の「とどまる」と同じ単語です)
それまで自分の力で労苦し、たくさんの重荷を背負い、活動的に生きてきた者が、主のもとにやってきて、そこでじっとする。主が私をじっとさせてくださる。
主から離れてしまうと、じっとできない。主に出会うということは、じっとすることである。主に出会うことによって、はじめてじっとすることができる。動き回っていた生活から、静まる生活に変えられていく。
この個所は25節から続く段落の中にあります。
25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。
26 そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。
27 すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。
幼子である、ということが、父を知る道を拓く。それが父なる神さまのみこころである。主のもとに来なさい、と言われて、素直に行くことができるのは、幼子だからである。幼子だけが、自らの疲れを知ることができる、自らが重荷を背負っていることを知ることができる。そしてそれを自分の力では到底担いきれないことを知っている。
また幼子でなければ、その重荷を、主のもとに持ってくることができない。自分が強いと思っている「大人」は、なかなか主のもとにやってくることができない。そうして苦労の多い人生を、あいかわらず重荷を背負って生き続けてしまう。
ギブアップすることができることは、幸いです。弱音を吐くことができること、安心して自分の弱さをさらけ出すことができること。それは幸いなことです。そういう「場」を私たちは持っているだろうか。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
主のところだけが、その「場」である。主のもとに、自らの重荷をすべて下ろす。そうして安らぎを得る。
重荷を下ろすことによって休みをいただくとともに、イエスさまは、もう一つのことを言われました。それは、重荷を下ろすだけではなく、イエスさまのくびきを負う、そうしてイエスさまから「学ぶ」。そうすれば「たましいに安らぎを得る」。
重荷をおろしたけれども、依然安らぎが来ない、あるいは十分な安らぎとなっていない。もしそうであればその理由は明らかです。重荷をおろしただけで、イエスさまのくびきを負っていない、負おうとしていないからです。
くびきとは、2頭の家畜の首をつなぐ棒状のもので、それによって荷物を運ばせようとする道具です。イエスさまのくびきを負うとは、私とイエスさまがつながれて、そうして重荷を負っていく。そこで重荷の負い方を学ぶ。イエスさまから学ぶ。
そのようにして初めて私たちは、安らぎを得ることができます。
イエスさまと一緒に負うくびきは、負いやすい。またそのようにして担うことになる重荷は、「軽い」のです。
イエスさまのもとの人生の荷物をおろしたけれども、荷物の重たさがあまり変わっていないとするならば、それはイエスさまから学ぼうとしていないからです。人生の重荷をイエスさまと一緒に担おうとしていないからです。
だれの人生にも重荷はあります。その大きさ、重量には違いがあるかもしれません。しかしその人にとっては最大の重荷です。それを担わずに、放棄したままで自分の人生を生きたことにはなりません。聖書は人生の重荷を放棄する道を私たちに示すのではなく、その重荷の正しい背負い方を教えてくれるのです。そうしてたましいに安らぎを得ます。
人生の重荷の重量は、それ自体を見つめているだけでは、正しい重量を知ることができません。重たいばかりが目に映ります。しかしそれをイエスさまのもとに下ろす、そしてイエスさまと一緒に担っていこうとする。そこで重荷の重量は正しく量ることができます。
過去も現在も将来も、すべてイエスさまのみこころと結びつけていくのです。それらをイエスさまといっしょに背負っていくのです。主は「あなたが一人で担おうとしているその重荷をわたしのもとに下ろしてごらん、わたしにゆだねてごらん、そうしてこれからはいっしょに担っていこう」と語りかけて下さいます。