静まりの時 ローマ9・1~5〔とりなし〕
日付:2024年09月26日(木)
1 私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
3 私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。
4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。
5 父祖たちも彼らのものです。キリストも、肉によれば彼らから出ました。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。アーメン。
9章から11章までで、パウロは同胞であるイスラエル人の救いについて、祈っています。神さまに選ばれた民であるイスラエルが、救われていない。救われようともしていない。神の御子イエスさまを殺してしまう。そんな民となってしまっている。そことをパウロは憂えているのです。そしてその上で祈っています。
神さまに目を向けています。「キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です」と、神さまに目を向けています。
同胞が救われるならば、自分自身は呪われた存在となってもよいと、祈っています。
愛する者のために、自らは呪われてもよいとの祈りをささげることができるだろうか。キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です、と真実に告白することができるならば、可能となる祈りなのだと思います。