女の方、あなたは病から解放されました

静まりの時 ルカ13・10~13〔いやしの力〕
日付:2024年08月21日(水)

10 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
11 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことができない女の人がいた。

 この安息日にもイエスさまは会堂で教えておられます。すると、そこに18年間、病の霊につかれて、腰が曲がり全く伸ばすことのできない女性がいました。腰を全く伸ばすことができない状態で、どのようにして会堂までやって来きたのか。誰かに助けてもらったのか。たやすいことではなかったでしょう。この女性にとって、安息日に会堂へ行く、ということがいかに大切なことであったかが想像されます。
 なぜそんなに大切だったのか。会堂にいったい何があるのか。会堂で何が行われるのか。彼女の求めたものはいったいなんであったのか。
 イエスさまは、会堂で教えておられました。み言葉が語られていたのです。み言葉を慕い求めていた。それが彼女の生きる力だったのだと思います。腰が曲がって全く伸ばすことのできないこの女性を支えていたのは、会堂で語られるみ言葉であった。

12 イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました」と言われた。
13 そして手を置かれると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた。

 イエスさまは彼女に目を止められました。どれくらいの人がそこにいたのか分かりません。おそらく大勢の人がいたことでしょう。しかしイエスさまの目は、この一人の女性にとどまりました。そうして癒してくださいました。イエスさまは、同じように私たち一人ひとりに目をとめて下さいます。そして必要に答えて下さいます。
 イエスさまは多くの場合、癒しの御業を行われる際して、その前にいろいろな対話をされます。あるときには、わたしに何をしてほしいのか、と問われました。あるときには拒絶されます。しかし今朝の個所では、そのようなことは一切ありません。いきなり癒されました。

 イエスさまは、彼女を呼び寄せられました。その声に、おそらく彼女は、曲がった腰のままに、その不自由さを引きずるように、イエスさまのもとに進んでいったのだと思います。呼び寄せて下さったイエスさまの御声に従おうと必死です。
 御許にやって来たこの女性に重ねて、ことば、が語られました。「女の方、あなたは病から解放されました」。解放してあげよう、でも、やがて解放されるであろう、でもありません。いきなり「解放されました」。病がすでに過去のことであるかのようにイエスさまは語られます。
 そう言われたあとに、イエスさまは彼女に手を置かれました。すると彼女の曲がった腰は癒えたのです。み言葉が語られる。そうして癒しが行われる。ここにも先行するみ言葉の力が語られています。

 「あなたは、病から解放されました」。以前の訳では、いやされました、でした。原文を直訳すると、あなたの病は、あなたから去っていきました、となります。去っていった、は、二人称単数で完了形、受動態。
 病と訳されている単語には、ほかに、無力、弱さ、という意味があります。あなたの弱さ、無力は、あなたから去っていった、もはやあなたを支配することはない。18年の間、あなたを縛り続けていた鎖は、もやは存在しない。彼女は、再び自由の中に生きる者とされたのです。そうしてそのお言葉が確証されるかのように、イエスさまは御手を置いてくださり、癒してくださいました。

 イエスさまを信じて救われる、ということは、このように、自由にされる、ということです。私たちを縛るものとはいった何であるのか。さまざまなものを想像することができると思います。もしかしたら自分自身が自分を縛っている、ということもあるかもしれません。イエスさまはそのような私たちに、あなたは解放されました、と今日も語ってくださいます。


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