自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい

静まりの時 ヤコブ2・8~13〔隣人を愛する〕
日付:2024年07月31日(水)

8 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。
9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。

 2章1節からの表題に「人を分け隔てしてはならない」とあります。公平に扱う、平等に扱う、差別しない、ということがテーマです。教会に向けて書かれた手紙ですから、教会にそのようなことを語らなければならない問題が起こっていた、ということでしょう。
 人を分け隔てしてはいけないのはなぜか。それはキリスト者は隣人への愛に生きる者だからである、と語られます。もし人をえこひいきしている、分け隔てしているとすれば、そこでは隣人への愛が行われていない。

11 「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われました。ですから、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっているのです。

 姦淫という罪と、殺人という罪。一般的には殺人のほうが重罪という感じがしますので「人殺しをしなくても姦淫しているならば、あなたは律法の違反者になっている」と続くのが普通な感じがしますが、ここには「姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっている」と書かれています。両者の罪は、おなじ重たさである、ということかもしれません。あるいは人を分け隔てする、ということは、殺人にも匹敵することなのだ、ということかもしれません。

12 自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。

 自由をもたらす律法。律法とは、自由をもたらすものである。律法がなければ私たちは不自由なのだ、というのです。そうしてその律法によってさばかれるのが、私たちである。キリストを信じた者、イエスさまは主と仰ぎ見る者なのだ、と。
 イエスさまを信じたときに、もはやさばかれることはない、という言い方がなされているとすれば、少なくともこの個所からすれば、それは間違いである、と言わざるを得ません。私たちはみなさばかれる者なのです。
 そのことを覚えて「ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい」といいます。今私が語る言葉、行う行動、そのすべてが彼の時にさばかれる。それを忘れてはならない。
 イエスさまを主と仰ぎ見て、ふさわしく語り、ふさわしく行うことは、窮屈な型に閉じ込められることではなく、自由になることなのだ、と。

13 あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。

 これも難解な言葉だと思います。憐れみを示すということは、この場合、分け隔てしない、ということだと思います。もし、分け隔てをしているならば、それは憐れみを示していないことである。そのような者に対しては、憐れみのないさばきが下される。すなわち、分け隔てのないさばきにさらされることになる。
 だから「あわれみがさばきに対して勝ち誇る」、打ち勝つのだ、と。なかなか続かないのですが。
 あわれみがさばきに打ち勝つとはいったいどういう意味であるのか。私たちがみなさばかれるとすれば、そこでは分け隔てのない、すなわち憐れみのないさばきが行われるはずであった。しかし主の十字架と復活によって、贖いの道がひらかれた。その恵みを信じたものには、憐れみの御手が差し伸べられる。さばきに対しては、あわれみが勝利するのだ、という意味かもしれません。
 そうすると、えこひいきをするようなことをしていると、最終的にさばかれるのだから、えこひいきをしてはいけない、というのではなく、最終的には憐れみを受けるのだから、えこひいきをしてはいけない、ということになります。
 これはおそらくキリストの愛を知らない者にとっては、意味不明なことだと思います。しかしキリストの愛を知っている者にとっては、まさに真実を語っていることが分かります。そんなことをしていればさばかれるぞ、というのは、聖書のメッセージではありません。聖書は、神さまの愛に包まれているのだから、隣人への愛に生きよう、と語ります。

【ヤコブ2・8~13】
8 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。
9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。
11 「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われました。ですから、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっているのです。
12 自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。
13 あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。


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