静まりの時 第二コリント9・6~10〔実を結ぶ〕
日付:2024年07月12日(金)
「6 私が伝えたいことは、こうです。」
8章10節に「この献金のことについて、私の意見を述べましょう」とあります。ここまでパウロは数章にわたって献金についての自分の考えを語ってきました。献金といっても、具体的には困窮を覚えている他の教会への援助のことです。結局パウロは丁寧に援助のための献金のアピールをしているのか。そうではないと思います。「私がこれを通して伝えたいことがある。それはこういうことである」、と語ります。
「わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。」
「わずかだけ蒔く」とは、原文では「惜しみながら蒔く」という言葉です。また「豊かに蒔く」とは「祝福する」「賛美する」という言葉です。献金の量を語っているのではありません。献金のささげ方を語っているのです。
どんなに多額な献金であっても、惜しみながらであるならば、それはわずかなのです。逆にどんなにわずかな献金であっても、祝福の心をもって献げられたものであるならば、それは大きな献金なのです。
祝福しながら、賛美しながら、献げ物をする、ということは、それは神さまに向かっての行為です。あるいは神さまとの関係の中にしっかりと立ちながら献げる、ということです。
「7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」
「心で決めたとおり」は原文では、前もって決めておく、という言葉です。あらかじめ決めておく、それは普段の生活の中で備えておく、ということです。
祝福の心をもって誰かに施しをする、ということも、それは誰かに向かってなすこともあるかもしれませんが、何よりも神さまへの感謝と喜び、賛美をもって献げる。それは、あらかじめ普段の生活の中で備えていることであり、その心で決めたことをしなさい、とパウロは語ります。
イエスさまの十字架も、永遠の神さまのご計画でした。あらかじめのものだったのです。そこに愛が現れています。
そうすると、神さまのとの間で、金額を定めるという意味もあるかもしれませんが、ここでの文意は、前もって備えておいた献金を当日ささげてください、という意味になります。
確かに、誰かに愛を伝えよう、感謝を伝えようとして、具体的になにがしかの贈り物をしようとするときに、前もって定めておくということを、私たちはします。その場の思い付きでなされたことよりも、前もって準備されたものが贈り物としての価値は豊かでしょう。
子どもたちが結婚をする、ということを聞きつけた親戚は、前もって日を定めてお祝いをもってきてくれました。こちらも、桜の花びらなどを浮かべたお茶とお菓子を準備して待っています。そこでいただいたものは、お祝い金だけではなく、喜びの心をいただいたようなことです。おおよそ愛を伝える、ということは、あらかじめ、ということばとリンクしているのです。その場の思い付きではなく、ましてやあらかじめ備えられたものではなく余ったものをいただいてうれしいと思う人はいないでしょう。問題は、ささげるものではなく、ささげ方なのです。
「8 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。
9 『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる』と書かれているようにです。
10 種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」
義の実を増し加える、という言葉は誤解しそうな言葉です。多くの献金を献げるならば、多くの義をいただくなどということは聖書の語るところではありません。これを書いたパウロは、私たちの行為によって義が与えられるのではなく、一方的な恵みである、ということを、だれよりも深く考えた人です。
義とは、正しい、ということですが、それは神さまとの関係の正しさのことです。神さまのとの関係が正しい、ということが生み出す「実」がある。その実とはいったいなんであるのか。
私たちの小さな人間関係の中にあって、その関係が正しくあるならば、さまざまな「実」が結ばれるでしょう。贈り物もあるかもしれませんが、それ以上に、愛、喜び、平安、などガラテヤ5章に書かれている御霊の実が結ばれていくのではないでしょうか。
ましてや神さまとの関係を正しくしていただいたならが、その実が結ばれていくのは当然のことです。それを具体的に味わうことが信仰生活なのだと思います。
神さまへの感謝と喜びとをもって神さまに向かって献げ物をするならば、そこに、すでにいただいている義にふさわしい、感謝や喜び、が豊かにされていく。
金額の多少にかかわらず、喜びと感謝をもって献げる生き方は、その人生そのものを喜びと感謝に満ちたものへと成長するのです。
「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
(使徒20・35)
【第2コリント9・6~10】
6 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
8 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。
9 「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。
10 種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。