静まりの時 ホセア14・1~7(2~8)〔実を結ぶ〕
日付:2024年07月11日(木)
※本日の個所は、2~8節となっていますが、これは協会訳系の節によるもので、新改訳では1~7節に該当します。
1 イスラエルよ。
あなたの神、主に立ち返れ。
あなたは自分の不義につまずいたのだ。
人間をつまずかせるものはいろいろと考えられますが、ここでは「自分の不義」につまずいたと書かれています。自分の不義、共同訳2018では「自分の罪」。自分が神さまに対して不義をした、罪を持っている、それが、自分自身をつまずかせている、というのです。人生の祝福を留めている原因は、私の外側にあるのではなく、私の内側にある。それが解決されない限り、何をやっても幸いがやってこない。まずはその「自分の不義」を解決しなければならない。私たちは問題が起こるとすぐに自分以外の誰かのせいにしたくなります。しかし根本的な原因は私のうちにある。
もし自分ではない誰か、あるいは何かのうちにあるならば、自分ではどうしようもありません。しかし自分のうちにあるのならば、解決に向かって自分のできることはあります。
2 あなたがたはことばを用意し、
主に立ち返れ。
自分の不義を解決する道は一つです。主に立ち返ること。そのために必要なことは「ことば」です。
主に言え。
「すべての不義を赦し、
良きものを受け入れてください。
私たちは唇の果実をささげます。
3 アッシリアは私たちを救えません。
私たちはもう馬に乗らず、
自分たちの手で造った物に
『私たちの神』と言いません。
みなしごがあわれまれるのは、
あなたによってです。」
主に向かって語らなければならないことばは「悔い改め」です。「それは事実ではないのですよ」といった否認はもとより、「あれはけっして間違ったことではなかったのです、私はそういう人間ではないのです」といった自己の正当化、あるいは「いろいろと事情がありまして、そうせざるを得なかったのです、あなたもわかるでしょ」などといった弁解は、悔い改めではありません。ひたすら主の前にひざまずき、自らの罪を認め、自らのあり方が間違っていたことを告白すること。
4 「わたしは彼らの背信を癒やし、
喜びをもって彼らを愛する。
わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。
主は、悔い改める者の背信を癒してくださいます。いやいやではなく、喜びをもって愛してくださいます。
5 わたしはイスラエルにとって露のようになる。
彼はゆりのように花咲き、
レバノン杉のように根を張る。
6 その若枝は伸び、
その輝きはオリーブの木のように、
その香りはレバノン杉のようになる。
7 その陰に住むものたちは、
穀物のように生き返り、
ぶどうの木のように芽をふく。
その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。
祝福の一つひとつを、具体的に思い描きながらもそれらを十分に想像することができるわけではありませんが、とにかく豊かな祝福の道へと導いてくださる、それが主が赦してくださる、ということです。主は、私たちの背信をいやし、喜んで愛してくださるのです。
自らのうちにある不義を主の前に悔い改めるならば、主はいつでも赦し、大いなる祝福の道へと導いてくださいます。
【ホセア14・1~7】
1 イスラエルよ。
あなたの神、主に立ち返れ。
あなたは自分の不義につまずいたのだ。
2 あなたがたはことばを用意し、
主に立ち返れ。
主に言え。
「すべての不義を赦し、
良きものを受け入れてください。
私たちは唇の果実をささげます。
3 アッシリアは私たちを救えません。
私たちはもう馬に乗らず、
自分たちの手で造った物に
『私たちの神』と言いません。
みなしごがあわれまれるのは、
あなたによってです。」
4 「わたしは彼らの背信を癒やし、
喜びをもって彼らを愛する。
わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。
5 わたしはイスラエルにとって露のようになる。
彼はゆりのように花咲き、
レバノン杉のように根を張る。
6 その若枝は伸び、
その輝きはオリーブの木のように、
その香りはレバノン杉のようになる。
7 その陰に住むものたちは、
穀物のように生き返り、
ぶどうの木のように芽をふく。
その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。