良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します

静まりの時 ルカ6・43~45〔実を結ぶ〕
日付:2024年07月10日(水)

「良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。」(43,44)

 この世界にはたくさんの種類の木があります。見ただけでそれが何の木か、どんな花を咲かせるか、どんな実を結ぶのか、が分かる人がいます。その実を食べることができるか、何かに利用することができるかを判別し、それを実生活に役立てることのできる人もいます。
 教会にも、また本部にもブルーベリーの木を植えてくださいましたが、いろいろと種類があるようで、6月に子どもたちと収穫をさせていただいた木は、その時期に収穫期を迎えたのですが、最近ようやく実が色づいてきた木もあります。同じブルーベリーでも違いがあります。木だけを見ても分からないのですが、実が結ばれるとその木がどんな木であったのかが分かります。
 ある人が庭にたくさんの柿の木を植えておられたのですが、実を結ぶ季節になると近くの中学生が下校途中でいたずらまじりにその実を採ってかじっていくということがあったそうです。しかしその木は干し柿にするために植えられていて、採ったばかりの実はことごとく渋柿でしたから、ひとかじりされた実と口から吐き出されたであろう破片が散らばってどうしようもないといって嘆いておられたことを思い出しました。実を見てもその木が分からない、実を味わって初めて木が分かったということもあるようです。

 さて、イエスさまは植物のお話しをしておられるのではありません。それをたとえとして、信仰の心、人生の歩み、生き方、人間関係のお話しをされています。
 まずは、木はその実によって分かるということから、どんなに良い木に見えても、結ばれる実が良いものでなければ、その木は良い木ではない、と言われたように思います。人間の真価は、その実によってはかられるというのです。ここで実とはいったいなんであるのか。人生に結ばれていく実とはどういったものなのだろうか。人生における行いのことだろうか。結果のことだろうか。
 さまざまに想像が走りますが、このルカの福音書のこの箇所の焦点はそこにあるのではなく、人間の語る言葉、がその焦点となっています。

「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。」(45)

 人の口から語られる言葉は、その人の心に満ちていることである。よく、心にもないことを言ってしまった、というけれども、そこで語られた言葉は、やはりその人の心の中に満ちていたことなのだ、と。

 あんなこと言わなければよかった、と後悔するときに、それが語られた、ということは、やはりそれが心に満ちていたのだ、語らないではいられなかったのだ、ということでしょう。

 良い言葉を語ろうとするならば、まず良い心でなければならない、心を良いもので満たしていなければならない、というのです。
 良い心を自分で作ることはできないのです。イエスさまに作っていただかなければならない。そのためには、まずイエスさまに向かってよい言葉を語る練習が必要な気がします。そうして良い心を作っていただく。整えていただく。

 しかしもともとよこしまな罪びとである私たちは、はたして良い言葉を語ることができるのであろうか。
 よく本音で話しましょう、と言われることがありますが、本当に本音で話し合うことでよい社会ができるのだろうか。よい人間関係が生まれるのだろうか。それは自分に対して開き直っているだけではないか。人間関係を美しくしようとする試みを放棄している、ただ甘えているだけではないだろうか。

愛のことばを言おう ふかくしてみにくきは あさくしてうつくしきにおよばない しだいに深くみちびいていただこう まずひとつの愛のことばを言いきってみよう
八木重吉「愛のことば」

 語るときには、少し遅いほうがいいのかもしれません。一呼吸を置く。そうしてその言葉が語られていい言葉であるかどうかを思いめぐらす。だれも完璧なことはできません。天国に行くまではみな未完成です。ですから地上にある間は、赦しあうことが人間関係の基本です。そのような中にこそ、愛の言葉、が語られるのでは、と思います。

【ルカ6・43~45】
43 良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。
44 木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。
45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。


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