彼にとってまず第一に来るのは、「永遠のあがない」である。そのようなあがないをまず得ようとする者には、時間的なあがないのいくらかも約束される。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、151頁
へブル人への手紙9章12節
2013年04月24日(水)
永遠のあがないとは、主イエスさまの十字架と復活によってのあがないのことです。これは永遠のことであり一回限りのことです。
これに対して、時間的なあがないとは、病の癒し、問題の解決、など、人生に繰り返し起こってくる諸問題が解決され解放されることです。
時間的なあがないがあって、永遠のあがないがそのあとについてくるというのではなく、まず第一に来るのは「永遠のあがない」です。時間的なあがないも大切ですが、まず第一に来るものではありません。
この点が分かるかわからないかが、キリスト教が分かるかわからないかにかかっています。
永遠のあがないよりも時間的なあがないを第一にすることは、残念ながらキリスト教ということができません。聖書の信仰ということはできないのです。