私たちにとって、トマスは、信じることがむずかしい私たちの状態の中にあって、慰めなのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、142頁
ヨハネの福音書20章27節
2013年04月15日(月)
主イエスさまが復活された後、弟子たちにお出会いくださいました。しかしトマスはその集いにいませんでした。なぜいなかったのか。聖書はその理由を記しません。しかしそこにいなかったということが、トマスの性格を明らかにしました。主の復活の証拠を見るまでは自分は信じないと言い切ったのです。
主イエスさまはそのようなトマスを退けず丁寧に取り扱ってくださいました。主はトマスのお出会いくださったのです。そして証拠を見て信じる者になりなさいと言われました。その言葉にトマスは信じました。証拠を見たからではありません。主の脇腹の傷に手を差し入れたので信じたのではありません。主の言葉によって、その愛によって、信じたのです。
私たちの心の中にもトマスがいます。主はそのような私たちの中にあるトマスの心を大切に扱ってくださいました。そして愛の言葉をかけてくださり、信じないものではなく信じる者に導いてくださいます。