彼の死体は、普通の手あたり次第の亜麻布ではなく、きれいで繊細な亜麻布に包まれる。ちょうど人が、特別貴重な宝物は、普通の紙に包まずに薄地の神に包むように、彼のからだは、繊細な亜麻布で覆われる。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、132頁
マタイの福音書27章59節
2013年04月05日(金)
この葬りの確かさ美しさはいったいなんでしょうか。
あの十字架に至るまでの喧騒、理不尽さ、みすぼらしさ、悲惨さはどこに行ったのでしょうか。
今や主はまことの王としての扱いをお受けになっておられます。そこには人ではなく神さまの急進的な御手が伸べられているようです。