一人一人が孤独な悩みの中でそのような問いを心に懐きつづけることがないために、それは、言葉に出して語られなければならない。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、112頁
マタイの福音書26章54節
2013年03月17日(日)
疑問はふところにしまったままにしないで言葉に出して語られなければなりません。
神さまに向かって問いかけなければなりません。
神は、世界という馬車の上で、居眠りして手綱を手放し、その結果車が道の縁を乗りこえてしまうというようなことは、一瞬もされなかった。神は、その御子があそこで両手をしばり上げられたときにも、一瞬も支配力を失い給わなかった。そこでも神は統治の座につき、そこでもあくまで状況の主であり給うた。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、112頁
マタイの福音書26章54節
2013年03月17日(日)
ユダの時も、神さまのご支配の中にありました。神さまは、あらゆる状況のなかにあっても主です。