イエスがすでに自分は死なねばならないと言われた後で、一人の女が彼に近づき、貴重な石膏の壺をこわして、アラビアの極めて珍しい植物から得られる高価な油を‐ひと財産ほどの値打ちのある油を、イエスがこの家の主人と食卓についておられたときに、彼の頭に注ぎかけ、たちまちその家全体が、その高価な芳香に満たされたのであった。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、101頁
マタイの福音書26章6,7節
2013年3月6日(水)
自分は死なねばならない、と言われた後で・・・
すなわち十字架にかかると言われた後で、この出来事が起こりました。
古来メシヤになされてきたことがイエスさまにおいてなされたのです。サウル王やダビデ王に祭司であるサムエルがしたように、イエスさまに、名もない一人の女性が油を注いだのです。
十字架にかかるということ。それこそまことのメシヤのなすべきことでした。
主イエスさまは、私たちのメシヤ(救世主)となってくださいました。