何よりも私たちが神の事柄のために熱中し争い、私たちのこぶしを握りしめようとする場合にこそ、最高の注意深さが要求されるだろう。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、99頁
マタイの福音書26章3,4節
2013年3月4日(月)
イエスさまを十字架に付けるために民衆を扇動したのは、時の宗教指導者たちでした。彼らはイエスさまを殺すことが神さまのためであると確信していました。神さまに仕えていることを確信していたのです。
そういう熱中と争いの中にいるとき、そしてこぶしを握りしめている時、最高の注意深さが要求されます。
もしかしたら神さまの働きを殺そうとしていることになるかもしれません。