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嵐のただ中における静けさ

神の平和は、嵐の後の静けさであろうとするだけでなく、嵐のただ中における静けさであり、力であり、持久力であり、試練と苦しみのただ中における安息所であろうとする。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、53頁
へブル人への手紙4章9節
2013年1月20日(日)

人生には嵐があります。しかし神さまはまことの平和、平安を私たちに備えていて下さいます。それは嵐がやがて過ぎ去るであろうとの希望であり、やがての時には平安なところに立たせて下さるであろうという期待です。しかしそれだけではありません。その嵐のただ中においても神さまは平和、平安を私たちの備えていて下さるのです。

今このところで、私たちは神さまの平和と平安を味わうことができるのです。


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