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静かに待つ

神は、その奇蹟を、私たちが欲するときにではなく、彼が欲するときに、行なわれる。したがって、私たちの生活の中では、神の奇蹟を自ら体験するということが、起こらないで、私たちが静かにして待っていなければならないということがある。それが、私たちが「いにしえからのあなたのくすしきみわざ」を頼みとしなければならない時である。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、8頁
詩篇77編11節
2012年12月7日(金)

奇蹟を期待するとき。

私たちはどんな軌跡を期待してきたでしょうか。また今どんな軌跡を期待しているでしょうか。

それらがどのような時に起こったでしょうか。

奇蹟は、私たちのタイミングではなく、神さまのタイミングで行われるとリュティは言います。

グッドタイミングという時の多くは、私たちのタイミングにあった時のようですが、すべては神さまの御手の中にあるのですから、すべての奇蹟はグッドタイミングなのです。たとえ私たちの都合に合わないときであっても。

私たちの都合ではなく、神さまの都合で奇蹟が起こるのですから、静かにして待っていなければならないということがある、とリュティは語ります。それは、グッドタイミングを待っているということです。待っているときはその時がまだグッドタイミングではないのです。グッドタイミングでないときに、奇蹟が起こってしまったら大変です。自らのはやる気持ち、祈りにあせる心を治めていなければなりません。

そのようにして私たちは「待つ」ということをあらためて学びます。人生のどれだけ多くの時間がこの「待つ」ということに費やされることでしょうか。

待つことが人生の多くの時間であるならば、人生の祝福はこの待つ時間をどのように過ごすかにかかっています。ただ焦りの中で過ごすのか、それとも喜んで、あるいは楽しんで過ごすのか。

私たちは、天と地をお造りになられた神さまを信じています。その神さまは私たちと遠くにおられる方ではなく、御子イエスさまをこの地にお遣わしになるほどに、私たちを愛していてくださるお方です。十字架にかかって私たちの罪の身代わりになるほどの愛をお持ちのお方です。そして三日ののちに甦って、死の壁を打ち破り、永遠の命、尽きない命への道を開いてくださいました。私たちの罪を赦してくださるばかりか永遠の命を与えるお方、ご自身の聖さに私たちをあずからせてくださるお方です。

この方のグッドタイミングを、私たちは待ち望みます。ですからこの待つ時間は楽しく豊かな時間です。

心を静かにして今日も主の時を、そして主ご自身を待ち望みましょう。


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