静まりの時 2022年7月23日(土)
コロサイ1・15~20
「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
(コロサイ1・15~17、14、新改訳2017)
御子イエスさまは、見えない神さまのかたちである、すべての被造物よりも「先」に生まれた方である、見えるものも見えないものもすべてのものは、このイエスさまに「あって」創造され、イエスさまに「よって」造られ、イエスさまの「ために」造られました。すべてのものの原因、目的は「イエスさま」なのです。
「先立って存在した」ということは、時間的な「先立ち」もありますし、存在理由そのものの「先立ち」もあるでしょう。プライオリティー、優先順位と考えてもいいかもしれません。
すべてのものは、イエスさまにある。私たちも、私たちを取り巻く世界も、そこにある喜びも悲しみも、すべてがイエスさまの御手の中にある、ということ。この力強いみことばをいただくと、私たちは新しい力に満たされます。
この一週間もここまで守られたことを感謝します。一週間前の体調を考えると、今朝はすこぶる調子が良いです。お祈りを感謝します。きょうは備えの日、明日は主の日です。喜びと感謝をもってよい一日を過ごし、明日に臨みましょう。
「見えない神のかたち」。この「かたち」という言葉は、原文ギリシャ語では「エイコーン」。訳語としては、像、肖像、似姿、形、姿など。新共同訳では「姿」と訳されていました。東方教会関係の雑誌に『エイコーン』というものがあります。
東方教会で「イコン」というのがあります。東方教会では基本的に立体的な「像」はありませんが、その代わりと言っていいのかわかりませんが、平面に描かれたイエスさまやマリアさん、聖人が、礼拝堂の正面などに安置されています。イコノタスというのでしょうか。京都と東京神田にある正教会に行ったことがありますが、それは荘厳なものでした。イコンは、窓のようなもので、それを通して神さまを礼拝するということのようです。
このイコンから、現在私たちがコンピュータで親しんでいる「ICON(アイコン)」という言葉が生まれたと言われます。このアイコンをクリックすると、本体であるアプリケーションにたどり着くということですね。
神さまは、この御子イエスさまを通してご自身にアプローチすることができるようにしてくださったとも考えることができるかもしれません。もちろんイエスさまは、単なるアイコン、すなわちショートカットや虚像ではありませんが。しかし私たちは、このイエスさまによって、神さまというお方を知ることができるのですから、今日もひたすらイエスさまを見上げて歩めばよいのです。