あと第4章として「セクハラを受けた方のために」と題しての文章が続きますが、その内容は、遠慮せずに相談してください、ということ、相談の窓口として「ウィメンズカウンセリング京都」の『セクハラ相談の基本と実際』の中からの、加害者への対応の仕方、そして相談室の役割と一般的な対応が短くまとめられていました。こちらは割愛します。ぜひこの書をお買い求めください。
巻末付録として「気をつけたいハラスメント想定場面集―気づきの助け―』があります。20の具体例が挙げられていますので、これをこの学びの最後としたいと思います。
【セクシャル・ハラスメント、ジェンダーに関連して】
(1)若い信徒が元気がなかったので励まそうと思い、異性の牧師が背中に手を添えて声をかけた。
〈●考えてみましょう〉
ボディー・タッチは日本ではあまりその習慣がないので原則避けるほうが良いでしょう。肩をたたくこと、ハイタッチや握手がプログラムに組み込まれること、肩を組んで賛美すること、手をつないで祈ることなどには、不快に感じる方がおられうかもしれないことを心に留めましょう。牧師だけではなく、信徒同士の交わりの場でも、配慮のある振舞いを心がけましょう。(2)相手が子どもだから、多少からだに触れることがあっても問題はないと思う。
〈●考えてみましょう〉
子どもも成人と同じです。頭をなでる、横から腕をまわす、抱き上げるなどの必要以上の身体的接触は避けるほうが安全です。また、本人だけでなく、その保護者が不快に感じれば、その時点で問題になります。特にCSの活動などでは配慮が必要です。(3)教会の役員さんが若い女性の教会員に「結婚はまだなの」と聞いた。
〈●考えてみましょう〉
ジェンダーに関係した発言は注意が必要です。万が一必要な場合も「相手の視点に立った」発言が大切です。「結婚はまだなの?」、「赤ちゃんはまだなの?」などはハラスメントです。同様に、「ダイエットしてるの?」「きょうの服はとても似合うね」など、身体的特徴や服装・髪型・化粧等について頻繁に言及することも、言う側は親しみを込めたものであっても、不快に受け取られることが多いとされています。(4)自分は既婚者なので、セクハラについての配慮は未婚の人ほどは気にしなくもよい。
〈●考えてみましょう〉
これは多くの人たちが誤解をしている問題です。ハラスメントは自分や相手が既婚・未婚であるかどうかは全く関係ありません。また、年齢や経験年数などにも関係なく起きている実例が多くあります。ですから、どのような立場、年齢であっても、すべての人に注意が必要です。(5)牧師が異性の信徒を助手席に乗せて運転した。
〈●考えてみましょう〉
このことだけでは何とも言えません。同様に、教会の中の個室など閉ざされた空間に牧師と信徒、信徒同士などが、男女二人だけになるような状況も、極力避けるようにしたいものです。いずれにしても、相手に配慮すること、良い証しを立てることを心がけるべきです。
このことに限らず、夜に異性のお宅を訪問することなど、もちろん牧会的に緊急の対応を要する場合もありますが、誤解を招く可能性のあることは予防的に避けるべきでしょう。(6)「時代が時代なのだから女性に重要役職に就いてもらうために、女性は女性に投票すれば良い」と言う。
〈●考えてみましょう〉
ハラスメントの可能性があります。男性・女性の適性を考慮した運営は大切ですが、性差があまりに全面に出る発言は控えるべきです。「女性の発言だから」などの言い方もよくありません。また、「女性大会」なども、男性を排除する意味でなされていれば、注意が必要です。「女性だから」「男性だから」という理由だけで、様々なことを決定することなど、一般社会では問題視される可能性が大いにあります。【モラル・ハラスメントに関連して】
(7)牧師が牧師夫人に対し(牧師夫人が夫である牧師に対して)、教会員の前で「上から目線」の、あるいは「威圧的」な言い方をした。
〈●考えてみましょう〉
これだけでは断定できませんが、配偶者に対する配慮は、家庭の中だけでなく、教会の中でも大切にしたいものです。当然のことですが牧師だけではなく教会に集うすべての人が気を付けるべきことで、相手を見下げた言い方をしたり、無視するなど、常にそのような接し方がなされていれば、社会一般の感覚ではモラル・ハラスメントとみなされるでしょう。(8)教会の運営について会衆に説明する奉仕をお願いしたら、自分にはできないと断ってきた。やることも祝福になると言って、とにかくやってもらった。
〈●考えてみましょう〉
これだけでは何とも言えませんが、この1回でその後の奉仕をはずされたり、冷たい接し方をされるなど不利益を被ることがあれば、ハラスメントになる可能性があります。
教会では、牧師が信徒に、あるいは信徒同士でも、奉仕や交わりの時にいろいろな奉仕をお願いすることがありますが、一方的ではなく、相手への配慮が大切です。ハラスメント問題は、相手に対して配慮を欠くところから起こるものです。牧師も信徒もお互いに配慮を忘れずに、良い関係を築きたいものです。(9)例会など男女別の交わりの場で、家庭の中での自分の配偶者への不満を話題にした。
〈●考えてみましょう〉
話している人は、特に問題意識がないまま、軽い気持ちで話してしまうことがあるかもしれませんが、その場に本人がいない時でも配慮を忘れないようにしたいものです。不満ではない、家庭内での些細な言動などでも、それを他人に話された本人が不快に感じる可能性もあります。
また、牧師が説教の中で配偶者や子どもなど、自分の家族の話題を本人の同意なく例話にすることは控えるべきですし、自分の若い時の苦労話や成功談、身内に関する話は、単なる自慢話と受け取られてしまうこともあり得ることを覚えましょう。【個人情報・守秘義務に関連して】
(10)自分の教会の信徒との牧会的なやりとりについて、他の場所で説教したときに例話として引用した。個人名を伏せて、「Aさん」としたので大丈夫だ。
〈●考えてみましょう〉
個人情報の取り扱いは非常に厳しい目で見られる時代です。個人情報は本人の同意なしに開示されてはなりません。
牧師の場合、職務上知り得る個人的な情報には守秘義務が課せられることを覚え、個人情報を守る意識をしっかり持つ必要があります。前任の教会の信徒の情報など、聞いている人には個人を特定できないと思われる場合でも軽率に話すことは問題になります。また、同意を得て話す時には、徹底して人物の特定ができないような配慮が必要です。個人情報などに関わることについては、牧師、信徒を問わず、配慮と慎重さを忘れてはなりません。(11)ある信徒の方が直面していた問題について、すでに問題は解決し、本人もそれを乗り越えて明るい教会生活を送っているので大丈夫と思い、みんなで雑談しているときに、「そう言えばBさん、あんなことがあったよねえ」と軽い気持ちで言った。
〈●考えてみましょう〉
ある個人の問題を、たとえすでに解決した過去のことであっても、公の場でも個人の会話の中でも軽い気持ちで持ち出すべきではありません。(12)口の堅い、他の教会員からも信頼されている教会の役員さんに、「ここだけの話ですが」と断って、他の会員の情報を話した。
〈●考えてみましょう〉
教会の中で、お祈りに覚えてほしいという善意の動機で、「ここだけの話」と言って別の方の個人的なことを話すことがありますが、本人の同意なしに話すことは控えましょう。「ここだけの話」という文句は、他人の個人情報を人に話す人として信頼を失いなけない場合もあるという意識を持ちましょう。(13)場を和ませるのも大切だと思い、みんなで雑談している場面で、ある人をからかう言い方をした。
〈●考えてみましょう〉
教会には交わりの場が多くなりますが、複数の人がいる状況で話題にする事柄には、慎重でありたいものです。受け取る側が笑えないジョークはハラスメントになる可能性があります。そのようなつもりではなかったとしても、自分以外の人がネタになっている冗談は、言われた人を傷つけてしまうのみならず、それを聞いた人の中にも不快に思う人がいるかもしれませんので、基本的には避けるべきです。(14)土曜日の夜遅く、信徒の方から電話でお祈りのリクエストをもらった。神の家族である教会は当然すぐに祈りを始めるげきであると思い、早速翌日の週報に掲載した。
〈●考えてみましょう〉
病気にしろ、家族のことにしろ、個人的なことを週報に掲載するかどうか、公の集会で祈祷課題として公表してよいかを確かめることが必要ですから、本人にそのことを尋ねる習慣をつけたいものです。
教会の交わりの中でも、兄弟姉妹の祈りの課題をどの範囲で共有するかはデリケートな問題であることを心に留めましょう。自分の配偶者であっても、軽率に話すことを控えるべき場合があります。(15)この先生だったら大丈夫だと思って、自分のプライベートなことを話した。しばらくあとで、その話をかなりの人たちが知っていることに気づいた。
〈●考えてみましょう〉
プライベートな打ち明け話は「墓場まで持って行く情報」です。プライベートな内容はだれであれ、むやみに他言しないのがルールですが、万が一他の人にも共有しておいたほうがよいと感じた場合には、「だれに」「どこまで」話してよいかを本人に確かめておくことが必要です。(16)教会の信徒から、「今度の交わり会についてあの姉妹に連絡をしたいのだけれども、住所を教えてください」と言われた。
〈●考えてみましょう〉
住所、電話番号、メールアドレス、誕生日、家族関係などの個人情報は、全く気にせずにオープンにする人もいる一方で、そうでない人もあります。それぞれの教会の伝統ややり方にもよりますが、教会の中の兄弟姉妹同士だから大丈夫、と思わず、これからの時代性を考えれば、本人に情報を開示してよいかを確かめてから教えるのが原則です。「自分が知らない間に、どうしてあの人は自分の住所を知っているのだろうという違和感を抱かれるにはよくありません。教会は情報を適正に管理していないという印象を与えます。
教会員の名簿についても、本人が望まない場合、住所などの記載を控えたほうが良いでしょう。(17)特別集会に来会した人の名前などリストにして、祈祷会で配布し、祈った。
〈●考えてみましょう〉
記名カードに書いてもらった情報は個人情報にあたりますので、本人の許可なしに、それが教会内であっても開示されていはなりません。そのことを避けるために、記名カードに、「この情報はご案内を差し上げるため、また書いてくださった方に神さまの祝福があるようにお祈りするために用います」など、前もって断りを書いておくのも一つの方法です。どうしてもいっしょに心を合わせて祈る必要がある場合は、最低限の情報に限定することや、祈り会が終わった後に回収するなど、可能な限りの配慮をしましょう。(18)個人情報が書いているプリントや役員会の議事録が教会事務室の机の上に置いてあった。
〈●考えてみましょう〉
牧師の守秘義務違反になる可能性が高い状況です。文書は、その情報を知る権利と責任がある人だけが閲覧できるように管理する義務があります。議事録、信書など、個人情報が見えるものは適正に管理しなければなりません。また、個人情報が記録されたUSBなどの扱いにも注意が必要です。誰もがアクセスできるような場所に無造作に置くようなことのないように気をつけましょう。(19)数年前に召天した方について、召天者記念礼拝の後の交わりの場で、思い出話のつもりでその方のことをいろいろ軽い気持ちで話したが、あとで少し言い過ぎたのではと反省した。
〈●考えてみましょう〉
話す側は普通の思い出話のつもりでも、また、年数がどれだけ経過していても話してはならないことも多くあります。また、内容によっては、それが話題に上がることで遺族の方が傷つくこともあり得ることを配慮しましょう。(20)「この方のおっしゃているこが本当だったら自死してしまわないかな」と心配になったが、個人情報なのであくまで伏せておいた。
〈●考えてみましょう〉
これは難しい状況で、このパンフレットでは扱いきれない問題です。自死の可能性があると思われる場合は、個人情報の問題の範疇を越えるものであると判断されます。相手の話に耳を傾け、状況をよく見極め、精神医学や心理臨床の専門家の力を借りることが必要となります。きわめて深刻なケースでは、相談者が不利益を被らないために、守秘義務が解除されるケースもある、ということです。
また、他人の罪を知ってしまった場合なども、どうすべきか非常に難しい問題ですが、良く祈って自分一人で本人に伝えることができれば、それが最も良い方法です。しかし、自分一人では担いきれない場合には、まず個人的な情報を伏せるかたちで、しかるべき方に相談することもあるかもしれません。(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、41ff頁)
身につまされることばかりで、途中でタイプを打つ手をいく度も止めることになりました。振り返ると、ただ、ごめんなさい、申し訳ありませんでした、としか言いようのないことだな、と思いました。
これからもこれらの基準は変わっていく部分を持っているでしょう。自分に限っては大丈夫、というのではなく、また以前は危うかったけれども今はもう大丈夫、ということでもなく、謙虚になって研鑽を続けていかなければならないな、と思いました。
これをもってこの学びをひとまず終了としたいと思います。お付き合い、ありがとうございました。