つづいて第3章の4を読みます。
第3章 ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいでしょうか?
4 みことばから学びましょう
ハラスメントについて理解を深めてきたところで、みことばに思いを向けてみましょう。ハラスメントによって決して侵されてはならない人権に関して、パウロに学びたいと思います。
二つの聖書の箇所を引用します。一つはピレモンへの手紙です。パウロはピレモンを「愛する同労者」と呼びます。パウロはピレモンと、「キリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできる」関係にありました。ピレモンにはオネシモという「役に立たない」奴隷がいましたが、パウロの導きで回心し、「役に立つ者」と変えられました。パウロはオネシモを自分のところにとどめておいて、福音のために仕えてもらいたいと思っていましたが、ピレモンの同意なしにそうしようとは考えませんでした。パウロはピレモンに「あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです」と述べています。どんなことでも命じることができるパウロでしたが、ピレモンに期待していたのは「同意」であり、「自発的」であることでした。パウロはピレモンの人格を軽視するようなことはしませんでした。すべての聖徒に対する愛を評価し、神に感謝できる人は、人格の尊厳を大切にします。キリストにある愛は隣人の尊厳を傷つけるようなことはしません。もう一つの聖書の箇所はⅡコリント1章24節です。パウロはコリントの信仰者たちに、「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です」と述べています。様々な問題を引き起こしていたコリントの人々を導く手っ取り早い方法は、彼らの信仰を強引に支配することであったかもしれません。しかしパウロは、人の信仰を支配するような牧者ではありませんでした。彼らの信仰の状態がどのようであったにせよ、彼らは「信仰に堅く立って」いたのです。彼らの信仰は人間の知恵に支えられるのではなく、「神の力による」(Ⅰコリント2章5節)ものでなければならないことを、パウロはよく理解していました。福音の恵みは、私たちを隣人の人格を尊重するように変えるだけでなく、信仰が神からの賜物であることと神の力に支えられていることとをいつも告白させます。「信仰を支配する」人は恵みの福音から離れています。信仰は人が支配するような性質のものではないからです。また、信仰の支配下には抑圧と隷属があるのみであり、「喜び」はありません。パウロは、多くの問題を起こしていたコリントの信仰者たちが御霊の実である喜びに輝くために協力者として奉仕しました。こうした関係の中にはハラスメントが入り込む余地など全くありません。このような生き方こそ主イエス・キリストにある者の聖なる生活であると言えます。
(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、24頁ff)
信仰の交わりにおいては相手の人格を尊重するということが大切であるということでしょう。
相手の同意、自発的、自分の力ではなく神さまの力にゆだねること。人の信仰を支配しない、信仰によって人を支配しない、ということでしょう。
たとえば、祈っていたら示されてこの聖句をあなたに送ります、ということがあります。これはよくあります。それは悪いことではないと思います。しかしそうして送られた聖句の内容は重要です。励ましや愛に満ちたものならば良いのかもしれませんが、さばきや断罪する聖句であってはいけないでしょう。
しかし励ましや愛に満ちたものならば、本当に良いのでしょうか。何か聖句を教えてください、ということならばまだしも、そうではない場面でそういう励ましと思う行為を行うことが、相手を「愛という名の支配」に縛ることにはならないでしょうか。難しいことです。
むかし進行性の病に倒れた友人にはがきを送りたいが、何を書けばよいか分からない、聖書の言葉も押しつけがましくて書く気にならない、という人がいました。結局その人は、季節の果物のスケッチだけを書いて入院されている病院に送ったということでした。後で、その相手の方と話す機会があったのですが、彼女がこんなはがきを送ってくれた、とたいそう喜んでおられたことを思いだします。励ましは神さまご自身がなさってくださるのですね。とはいっても、大抵牧師は聖句をどこかに書いてしまいます。そっと書いておきたいと思います(笑)。
最近はメールやラインによって瞬時のやり取りが可能となりました。余計に考える時間が少なくなりました。難しい時代です。長崎の佐世保だったでしょうか。メールによって引き起こされた小学生による殺人事件が起こったのが2004年。被害者はもとより加害者も大きな苦しみを背負うことになったと想像します。それから20年がたち、社会はますます複雑です。