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聖なる教会を目指して 7

 つづいて第2章の6を読みます。

第2章 ハラスメントはどうして起こるのですか?

6 信徒から牧師へのハラスメント

 牧師が強い態度に出ないことがわかると、牧師が信徒から威圧的な扱いを受けることもあります。たとえば信徒が、「牧師家庭の子育てや休暇の持ち方など、牧師の職務と関係のないことについて」介入したり、「牧師職は『聖職』と考え、緊急の場合は24時間対応ですが、日常的に24時間牧師職を果たすべきと要求したり、忙しさや貧しさ(清貧)を牧師に求めたりすること」もあり得ます(参考:バプテスト連盟『ハラスメント防止テキスト、教会と暴力Ⅰ』p.14)。ある程度は牧会対応で切り抜けようとするでしょう。しかし繰り返されれば、それはハラスメントです。牧師も人間ですので、人間として接してもらう尊厳と権利を持っています。
 方向性が信徒から牧師であるために、ハラスメントという認識がされにくいケースですが、相手の人格の尊厳を尊重できないというのがハラスメントの本質であるとすれば、同じです。

(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、19頁f)

 昔、荒れる子どもたちに福音を語ろうとした若い伝道者が、とにかく無抵抗で愛をかたむけて接してる中で、その子どもたちに殺されてしまったという事件がありました。そこまで愛に生きようとした献身に驚きを抱いたのですが、果たしてそれは愛だったのだろうか、という検証も必要なのではないかとも思いました。結果的に子どもたちを殺人者にしたわけですから。
 しかし無抵抗というのは、実際牧師になった者でしか分からないことなのです。言いたいことが山ほどあっても、それをすべて心に納めて何もないかのような顔をして、常に笑顔で生きていこう、それがイエスさまの喜んでくださることと心して30年を妻とともに歩んできました。何度苦しみの中で眠れない夜を過ごしたことでしょう。食が進まない日々を過ごしたことでしょう。それでも何を言われても、ハイはハイとして生きることが伝道者である、としてきました。しかしそういうことにはやはり限界がありますね。
 団体の責任をいただいていた時には、限界の中にある伝道者に、もうそれ以上がんばらなくてもいいですよ、と何度も言ってあげたのですが、自分にはなかなか言えずに来ました。昨年の緊急入院は、その考え方を見直す契機になったようです。
 でも伝道者としての歩みにはまったく悔いはないですね。毎週の礼拝、聖書の学び、信徒の皆さんとの交わり、お葬式では24時間体制、結婚式では東京の上野まで日帰りで出かけたこともありました。午前に葬式で午後に結婚式ということもありました。人生に悔いなしです。

 ここで3時を過ぎましたので、お茶の時間にしましょう。それでは。


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