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聖なる教会を目指して 4

 つづいて第2章の3を読みます。

第2章 ハラスメントはどうして起こるのですか?

3 権威主義・成果主義は黄色信号

 教団、教会にあって上に立つ者や指導者は、特に権威の誘惑に陥らないよう細心の注意を払う必要があります。権威主義に陥ってしまうと、自分一人で専決してしまい、後で問題となることがあります。
 最近、企業などで過重な労働や残業が問題となっています。成果主義の導入が背景にあるようです。それを教団、教会にそのまま当てはめてしまうと、信仰の命は失われてしまうでしょう。自分の業績(奉仕の結実)を上げることが目的となり、そのために兄弟姉妹を利用するようになります。そうなると、教会から主の愛が失われ、健全な聖徒の交わりができなくなります。自分の信仰は目に見える結果を伴っているから大丈夫だと思っていたら、真剣に反省しなければなりません。牧師であれば、自分の教会に受洗者が与えられることは、自分の信仰が大丈夫であることの保証ではありません。
 権威主義とカルトの関係にも注意が必要です。カルトという言葉そのものは「崇拝」を意味します。もともと悪い意味で用いられていたわけではありませんでしたが、次第に悪い意味を持つようになりました。マインド・コントロールについても同様のことが言えます。今ではその両者がセットになって、悪影響を与える宗教が生まれてきています。その特徴は大きな権威を持つ教祖がいるという点です。
 宗教が悪影響を与えるカルトと化してしまうと、宗教の名のもとに平気で他人を傷つけるようになってしまいます。傷つけられるのは必ずしも身体だけではありません。財産や仕事を奪われ、精神的に苦しめられ、日常生活さえ乱されてしまいます。その破壊力は恐るべきものです。人格さえ破壊してしまうのです。

(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、17頁)

 「権威主義」「成果主義」そしてカルト化。ひと昔は異端への注意喚起が健康な信仰生活を送るために大切なことでした。もちろん今日もそれは大切なことです。しかし今日大きな問題となっているのは、教理的に正しい教会の中に起こっている教会のカルト化です。使徒信条を告白しています。伝統的な形式での礼拝も行われています。しかしカルト化することがあるのです。「自分一人で専決してしまう」「大きな権威を持つ教祖」という言葉が出てきましたが、教会はつねに民主的な開かれた場所でなければなりません。奉仕の恵みは皆で分かち合い、自分が良いと思ったことも信徒の意見、兄弟姉妹の意見に耳を傾けている、ということが大切なのです。つまり教会は自分のやりたいことをする趣味の場所や自己実現の場所ではないということが確認されていなければならないのですね。


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