少し「守秘義務」についての質問がありましたので、私なりに書いてみたいと思います。まず鈴木崇巨先生が『牧師の仕事』という書物の中で、次のように書いておられます。
「守秘義務と言われるものは聖書の教えではありません。キリストはむしろ秘密にすること自体を愚かなこととしておられます。人はその髪の毛一本までも数えられており、神の前に何も秘密にできないと言われ、さらに『隠されているもので知られずに済むものはない」(ルカ12・2)と言われました。神の前に秘密そのものがないのです。」
(鈴木崇巨、『牧師の仕事』、教文館、2002年、46頁)
ただ牧師や神父に個人的になされた罪の告白や、個人的なことについては、医師や弁護士などのように、守秘義務がありますので、よほどのことがない限り外部に漏れることがないようにしなければなりません。それは、安心して牧師や神父に相談ができるという環境が大切だからです。
しかし教会の運営という点では、むしろ風通しの良い状況が大切です。役員会の議事録は、宗教法人法では、外部への閲覧義務があります。会計簿もそうです。もちろん関係のない人に、無制限に閲覧させる必要はありません。つまりインターネットなどで公開する必要はありませんし、またそれはふさわしくないでしょう。しかし基本的には、情報は公開するのが義務です。
ですから教会の中で行われる会議は、すべてこの「公開」が原則です。各分級、男性会や女性会、青年会、教会学校スタッフ会で話し合われる決め事は、すべて牧師や役員会が知ることができる状況や配慮が大切でしょう。あるいは祈りの分かち合いという点でも、各会での議題は分かち合われるべきです。そういう意味で、会議における発言に、守秘義務はありません。むしろ「ここだけの話やけど」とか「役員会には秘密やけどな」などという会議が行なわれているとすれば、異常事態です。それこそ大問題です。
これは牧師や役員会が各会を支配するという意味では全くありません。
一つは教会のすべての責任は、役員会にあり牧師にあるからです。役員会や牧師の知らないことが話し合われ行われていたとして、それを責任だけとりなさい、と言われても、大変でしょう。
もう一つは、こちらこそ大切なのですが、ともに一つの心になって祈り、互いの重荷を分かち合うところが教会だからです。たとえば、教会学校を例にするとすれば、礼拝に来た人が「礼拝前に何か分級室でやってはるけど、あれはなんやろうな~、なんか子どもさんが集まってはるみたいやで~」というのではなく、礼拝の参加者がすべて教会学校の子どもたちのために祈っているというのが健康な教会でしょう。