使徒信条は、ただ教会を信じると告白しているのではなく、公同の教会を信じると告白しています。公同とはいったいなんでしょうか。日本語で、公に同じ、と書くこの言葉は、もともとは「カトリケー」(普遍的な、世界的な)という言葉に由来しています。つまり今自分が所属している教会とともに、目に見えない普遍的な、世界的な教会を信じるということを告白しているのです。日本語にすると分かりにくくなっていますが、教派の名称に「カトリック」という言葉を含めている教派は多いのではないでしょうか。
これはかなり深い意味を持っているので、十分に論じる力が私にはありませんが、簡単なところでは、自分の教会が完全な教会ではない、ということを告白しているのだと思います。キリスト教の歴史の中に多くの教会が存在してきました。また現在多くの教会が世界には存在しています。さまざまなタイプがあり、違いがあります。しかし三位一体の神さまを告白しているならば、ともにイエスさまを土台とした教会である、ということを信じている。自分の教会だけが完全であるという独善的な教会論から解放されている、ということです。
ですからさまざまな違いを大切にしながらも、ともに協力をし励まし合っているのが教会です。互いの群れがこの地にあってキリストを証しする群れとして大切な存在であるということを告白している。そういう信仰を、キリスト教会は持っているのです。
キリスト教会の宣教活動は、結局のところ教会が建て上げられていく、ということを目的にしているといっていいのではないかと思います。教会を離れては、救いも、愛のわざも何もなりたたない、ということなのです。
パラチャーチ、というものが存在します。教会を超えた宣教協力の場です。飢餓対策、テレビやラジオの伝道、世界宣教、神学校教育、などなど。とても大切なことです。しかしいずれも教会の祈りの中で、そして教会を建て上げることを目的としていることが大切です。もしこの教会を建て上げるという目的が希薄になったり、失われたり、あるいはパラチャーチ自体の活動が目的となってしまったとき、それはキリスト教の活動とはいえないのではないかと思います。
これは一人ひとりの信仰生活が健やかに営まれていくためにとても大切なことだと思っています。