静まりの時 2022年1月8日(土)
「・・・神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。・・・」
(創世記2・1~4、新改訳2017)
最後に人間が創造され第6日までですべての被造物は完成されました。しかし聖書は「第7日になさっていたわざを完成し」と語ります。第6日で完成したと神さまは言われないのです。人間を創造されてもまだ完成したとは言われないのです。第7日をもって完成したといわれるのです。
第七日に神さまは「なさっていたすべてのわざをやめられ」ました。「やめる」、新共同訳では「安息なさった」共同訳2018では「休まれた」。安息、休むことをもって完成となさるのです。
そしてのこの「安息」において何をなさるのか。
「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた」(3)
この日を祝福され、聖なる日となさいました。人間をつくられただけで満足されるのではなく、その人間とともに安息し、人間とともに祝福のときを過ごされるのです。創造のわざはここにおいて完成されます。すべてのものが造られた目的はここにあります。人間が造られた目的は、そしてすべてのものが創造された目的は、神さまとともに安息を過ごすことにあるのです。
ですから私たちは神さまのもとの帰るまで、まことの安息を得ることがありません。神さまのもとに帰り、神さまとともにすべてのことを喜ぶことで、まことの安息を得ることができ、人間が造られた本来の目的に生きることができるのです。
「あなたは人間を呼び起こして、あなたをほめたたえることをよろこびとされる。あなたは、わたしたちをあなたに向けて造られ、わたしたちの心は、あなたのうちに安らうまでは安んじないからである。」
(アウグスティヌス、『告白』、服部英次郎訳、岩波書店、1976、5頁)
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