日: 2026年10月19日

  • あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです

    静まりの時

    • テーマ:この世と神の国
    • 聖書箇所:ルカ12・4~12
    • 日付:2026年10月19日(月)

    4 わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。
    5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
    6 五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。
    7 それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。

    イエスさまは、私たちのことを「友」と呼んでくださいます。友との間に築かれる愛、すなわち「友情」は、純粋な愛なのだと思います。親子の愛は、その前提として選択できない親子の関係があります。男女の愛は、性愛的な結びつきが求められます。それに対して友情は、自由な選択に基づき、性愛に縛られません。主は、私たちとの間に友情を築きたいと願っておられます。

    「からだを殺しても、その後はもう何もできない者たち」。からだを殺されたら、もう終わり、というのではなく、その後がある、と主はいわれました。かだらが殺される前も大切ですが、それとともにからだを殺した後も大切です。永遠という意味ではこちらの方が大切かもしれません。

    この世にあるすべての存在が私たちに恐怖をもたらすとすれば、その恐怖はからだを殺される前のみです。ですから恐れる必要はないと主は言われました。私たちが恐れなければならないのは、からだを殺された後をも左右することの出来るお方です。殺した後で、ゲヘナ、すなわち地獄に落とすことの出来るお方を恐れなければなりません。

    恐れるというと恐怖するということですが、この聖句の続きを見ると論調が変わります。

    「五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか」。マタイ10章29,30節では、2羽の雀が1アサリオンで売られているではありませんか、となっています。物価は変動するということでしょうか。

    5羽で2アサリオンなので、1羽ならばその5分の2アサリオンとなるのか、というとそうではありません。5羽で売買の価値が生まれ、その値段が2アサリオン、ということです。つまり4羽以下ではまったく価値がないのです。ということで「そんな雀の一羽」とは、まったく価値のない存在ということです。しかしその存在価値のないものさえも「神の御前で忘れられてはいません」。

    そして「それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです」と続きます。神さまの前に覚えられている、ということは、それだけ価値のある存在だ、ということです。神さまを恐れる、ということは、自分の新しい価値、確かな価値、真実の価値に出会うことです。自分の正しい価値を見出したならば、この世にあってなにも恐れることはありません。

    神さまを恐れないと、それ以外のさまざまなものを恐れる生き方となってしまいます。しかし神さまを恐れるならば、そしてその恐れが限りなく「畏れ」、すなわち愛に近いものであるならば、私たちはあらゆる恐れから解放されるのです。