日: 2026年10月14日

  • 「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊

    静まりの時

    • テーマ:世界を一つに
    • 聖書箇所:ガラテヤ3・29~4・7
    • 日付:2026年10月14日(水)

    「同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。」(3~7)

    私たちは、この世のもろもろの霊のもとに奴隷となっていました。しかし二千年の昔イエスさまは、人間であるマリアさんから生まれることによって、私たちと同じところに立ってくださいました。それは、奴隷であった私たちを、その奴隷の状態から贖い出すためでした。

    贖いとは、奴隷を買い戻す、ことであり、負債を代わりに負うことであり、罪を犯した者の肩代わりをすることです。私たちは、自分で自分を解放すること、買い戻すことができません。おおよそ人間には不可能なのです。神以外には成し得ないことです。

    贖うために差し出されたものは、十字架で献げられた主のいのちでした。神のいのちが献げられたことによって、私たちは奴隷から解放され、神の子とされました。

    そのために、主は人間となってくださいました。まことの人間となってくださいました。まことの神がまことの人間となってくださったのです。これによって、私たちは神の子としていただきました。神の子なので、相続人です。御子が受け継ぐべき相続財産をすべて相続する者となったのです。

    私たちは、奴隷から神の子としていただいたので、まことの自由の中に置かれています。奴隷とは罪の奴隷であった、ということですから、まことの自由とは、罪を犯してもよい自由ではなく、罪を犯さない自由のことです。罪を犯すことは不自由の中で犯すのですが、まことの自由をいただいた私たちは、選び取る自由をいただきました。罪を避けて主の喜ばれる道を選択する自由をもっています。それが本当に自由な者の生き方です。そしてそれが相続人として生きる喜びでもあります。